※花ゆめ2010年9号ネタバレ



 がたん、と窓が音を立てるのに、セツカはびくりと身をすくませた。
 今日は一日風が強かった。近くのコンビニへ外に出るのも嫌で、ホテル内で食事を済ませてしまった。
 ――キッチンがあればなぁ………。
 こう見えて、料理の腕には多少自信があるので、自分の分くらいは作った方が安上がりだ。しかしここは兄についてきて、支給された部屋だ。妹のセツカの同行も許可してくれたので、ベッドが2人分あるだけで十分だ。
 けれど、こういう日はなにか集中出来ることをやりたい。
 今日は風のせいか、ひどく時間を持て余してしまっていた。
 いつも楽しく見ているファッション雑誌も、今まで買った分も含めて全部ひっくり返して時間をかけて読み直したが、どことなく落ち着かない。
 ――困ったぁ……………。
 うーんと伸びをして、ベッドに横になった。
 ふ、とカインのベッドが目に入った。
 ――どうしよう………?
 カインのベッドは、カインが行ってからすぐに掃除が来たので、きれいにベッドメイクされている。そこを踏み荒らさないと決めたのはあくまでセツカであって、カインではない。きっちりベッドメイクされていないと、そこで寝ないというような育ちでは2人ともないし、カインが今のように生活が良くなってもそこに頓着しないのも知っている。
 カインが帰ってきて、そこを荒らすことはあっても、カインがいない時にそこは躓いて、飛び込んでしまった以外に乗っかったことはない。
「兄さん…………」
 すがるように、つぶやく。答える者はいない。
 今日、帰りが遅いのは知っていた。セツカはカインのベッドを見ては何度となくためらって、そうしているうちに外が暗くなり始めた。それに伴い、風の音が強く唸るように、ごう、と低く窓越しに聞こえてくる。セツカは立ち上がり、カーテンを閉めると、カインのベッドのそばにたたずんだ。
 ――はやく、帰ってきて……………!
 祈るように思うが、仕事なので仕方がない。
 シーツもきれいに取り換えられているが、それでも自分のベッドより、カインの存在を感じられるような気がして、セツカはベッドに腰かけた。隅に座るのにも、勇気が要った。しかし一度座れば、心は落ち着き、心にかすかな余裕が出てくる。普段カインが座っている場所を、そっと手で撫でるようにした時、びゅうっ、と外の風が唸るようになった音を聞いた。
「〜〜〜〜〜っ!」
 セツカはあわててベッドにもぐりこんだ。
 風はずっと苦手だった。
 理由があるのだが、強い風が吹き荒れる時が一番駄目だった。
 風はいろんな記憶をセツカに運んでくる。ごう、と強くうねる音がするたびに、それがフラッシュバックのようにセツカの脳裏を暴れるように駆け巡る。それはセツカには嫌な思い出ばかりで、そのフラッシュバックが現実と区別がつかなくなり始めると、逃れるようにセツカはうなったりする。
 ――兄さん、助けて・………………!
 けれどもセツカは直接兄に助けを求めない。仕事中だ。邪魔するわけにはいかない。具合が悪いわけではないのだ。すぐにおさまる―――。
 兄のベッドは匂いこそ残っていなかったが、ここで寝るのを何度も見ているので、安心出来た。
 めまぐるしく、セツカの脳裏に思い出の場面が映る。その中に、このベッドからセツカに「おやすみ」と云う姿も混ざって、そのベッドに自分がいることにうれしくなりながら、セツカの意識は引き込まれるように途切れた。

 す、と冷たいなにかが額に触れて、セツカの意識は引き上げられた。
「………え…………?」
 戻った意識が反射的にまぶたを押し上げ、目を射るまぶしさに身をよじる。その中に肌色と黒いものが見えた。
「目が覚めたかい、…セツカ」
「兄さん…………」
 そしてセツカは今、自分がカインのベッドにいる状況を思い出す。
「ごめんなさいっ!」
 あわてて起き上がって、ベッドから出ようとするセツカの身体は顔の目の前にあった肌色のものに阻まれる。果たしてそれはカインの手のひらだった。おそらく、セツカの目覚めを促したのはこの手だろう。カインの手の温度は驚くほど低い。黒は、カインの服だ。
「いいよ、ここで寝ていて」
「うん……………」
 部屋に戻ってきて、セツカが寝ていることで、カインは状況を把握したのだろう。その口調はいつも以上に優しかった。
「遅くなってごめん」
 連絡しなかったわけではないのに、本当に申し訳なさそうな表情で云われる。セツカは首を横に振った。
「……知ってたから、ヘーキ」
 わざと明るい口調で云ったつもりだったが、うまくいっただろうか。
「風が強かったから、いやな予感がした」
「うん、久しぶりに思い出しちゃった」
 風が呼び起こすセツカの思い出は決して常に風が絡んでいるわけではなかった。だけども、風の強い日にしか思い出さない。昼ならいい。けれど夜の暴風はもっとフラッシュバックの内容がひどい。早いうちに意識を手放したので、それほどしんどくはなかった。
「………セツカ、見てごらん」
 カインが服のポケットに手を突っ込み、なにかを取り出し、セツカに見せるように差し出した。
「わぁ、キレイ」
 かすかに身を起こしたセツカは、カインの手の中のものを見て、感激したように声を上げる。
 大きな手にちょこんと乗せられたのは、プリンをもっと丸くしたような形で、透明で中が見えるようになっている。底は白くて、目を凝らすと白とピンクの粉のようなものが舞っているのがわかる。こまかいものがひらひらしていて、まるで雪が降っているみたいにきれいだ。
「スノードームだよ」
「雪、なんだ」
 空を舞うひらひらしたのをこの国では雪という。
 映画やなにかで見たが、やはりきれいだと思う。
「これはね、ちょっと特別で、君の名前のスノードームなんだ、セツカ」
「私の……名前?」
 自分には馴染めないが、自分の名前は確かこの国の文字を当てられていると聞いたことがある。
「そう、よく見てごらん」
 云われて、セツカは完全に起き上がり、ドームに顔を近づける。
 ひらひら舞う白とピンクのものが、少し複雑な形をしているのがわかる。
「前に云って、セツカは忘れているかもしれないけど、この国の漢字という文字で、君の名前は『雪の花』って書くんだよ。そして雪の結晶は花の形のようだといわれる。これは小さいけれどその形にもしているんだって」
「素敵ね」
 ぼうっとしたように、セツカがつぶやくのに、カインが微笑んで、セツカの手のひらを取るとその上にドームを載せる。
「遅くなったおみやげだよ」
「ありがとう!」
 目を覚ましても、外はまだ風が強いらしく、時折ごう、と強い音を立てるのに、びくびくしていた。その風の音を、忘れた。
 手のひらの舞い散る雪の花を見つめながらも、セツカはふと思いついて、カインに云った。
「あ、でも! お詫びなら、もうひとつおまけをつけてほしいの」
 にこっとカインに笑いかけると、大きく深いため息をつかれた。
「………はいはい、お姫さま」
「今日は一緒に寝て?」
「…………わかったよ。―――腕枕もしてあげる」
「やったー!」
 両腕を上げて喜ぶセツカに、カインも微笑んだ。
「じゃ、さっそく寝ようか」
「なに云ってるの、兄さん。これから食事に行くのよ」
 カインの顔色が変わった。それでセツカは確信した。
「駄目よ。身体が資本なんでしょう、食事もその一環ですからね!」
 びし、とカインに向かって指を突きつけるのに、カインは観念したように両腕を上げた。
「はいはい、お姫さま」
 そして二人は少し遅い夕食に向かったのだった。

 この夜は一晩中、風が強かった。
 だから二人は一緒のベッドで眠って、風の音に身を震わすセツカに、カインが「大丈夫」と髪を撫でながら小さく囁く。子守唄のようだったが、風が強く窓を叩くたびに目を覚ましてしまい、それを何度も繰り返し、ようやくセツカは眠りについたのだった。
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 腕枕!は本誌で読んで、書こうと決めた時からやりたかったんです。
 独り上手もいいとこですね、タハハ。

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