※花ゆめ2010年9号ネタバレ



 本格的に雨が降ってきた。
 敦賀は空を見上げた。今は撮影現場で、シーンとしてちょうどいい雨に、スタッフが歓喜とあわただしさに悲鳴を上げている。敦賀蓮としてなら、こういう時、ぼんやりしていると誰かに声をかけられたりするが、カイン・ヒールとしてここにいるので、中断の合図から少し離れたところでたばこを吸い散らかしている。みな遠巻きにその姿をちらちら見ている。時折それに気付いたふりをして、ギッとにらむと、その視線は一気にその数が減った。
カイン・ヒールは演技だが、こういうのも悪くない、と思う。
 雨は嫌いじゃない。そして演技するのに、雨が降っても振らなくても関係ない。
 ――妹は…………。
 一瞬考えて、ふ、と笑みを漏らす。少し失念していた。
 妹役であるセツカが怖がっているのは、強い風だ。
 ――妹が、あの子だから、どうしても心配しちゃうなぁ……………。
 苦笑いする。
 カインならきっと、雨くらいで妹のことを思い出したりしない。雨の中どこかへ行くといっても、風が強く吹き始めない限りは完全に忘れているだろう。
 基本の設定があって、それを演じた上に、この映画の仕事がある。基本以外は割と自由なカインのはずなのに、誤差を感じてしまう。
 ――セツカさんのせいだよな……………。
 ほぼ敦賀蓮に戻れない生活は別段構わない。敦賀蓮すらかりそめの姿となんとなく思っているから。敦賀蓮という存在に対しても持っていない違和感をカインに持っているのは、彼の守り刀と呼ばれる妹の存在が大きい。
 どうしても気にかけてしまう。
 妹役の最上も、敦賀自身も、それぞれに仕事や生活があって、それをこなしながら、セツカやカインになって、あのホテルに住んでいる。
 ただでさえ、最上を気にかけている敦賀だ。妹という存在に変わって、考える時間が多くなった。
 はぁ、と心の中でため息をついて、タバコを噛みながら雨空を睨みつけるように見上げる。
『お兄様! 明日は私の手料理をふるまいます!』
 意気込んで、セツカが云ったのは昨日のことだった。
『どうしたんだい、妹よ』
『いえ、明日はお兄様も早く終わることですし、……正直外食ばかりだったので、私の胃が疲れました。作りたてほっかほかにならないのですが、夜戻るまでにお弁当を作ってこようかな、と思ってまして、よろしかったら一緒に食べませんか?』
 思いもよらない誘いに、敦賀の心の中では感動の嵐が吹き荒れていた。
『うん、いいね。――楽しみにしてるよ、セツカ』
 続けた言葉に、セツカはうれしそうな表情を浮かべた。それは兄の言葉が心底うれしい妹そのもので、敦賀はカインに少しだけ嫉妬した。
 ――本末転倒なのは自分でもわかってる。
 けれど、最上がセツカの姿で向けてくる行為は、間違いなく兄に対してのものなのが、時折もどかしくなる。
 そういっても、一緒に食べる約束がうれしかった。
 ――最上さんが、俺を本気で餌付けしたら、あっさり陥落するだろうな…………。
 いやその点ではもう遅いかもしれなかった。
 雨が一段と激しく降り始めて、ようやく撮影の準備も済んだようで、恐る恐るカインにも声がかかった。雨に濡れての演技なので、濡れるのも構わず、のっそりと現場に戻りながら今度はBJに切り替えていた。

 雨の中、ほぼ一発で演技を決めて、カインである敦賀の出番は終了し、スタッフが差し出した傘を振り切って、カインは家路を急ぐ。雨に濡れても構わない、と思った。
 帰る電車の中でも、ホテルのロビーでも、雨の中ずぶ濡れになったカインの姿は人目を惹いた。しかし誰もが遠巻きに見るだけで、近寄る者も声をかける者もいなかった。
 敦賀蓮として注目浴びるのとは違う人目の引き方にも、カインは頓着しない。
 それでいい。
 セツカの世界の中心が、カインであるなら、カインというより自分としての世界の中心も彼女だ。
それが認められて、許されるこの役柄を敦賀はとても気に入っていた。
雨は冷たかった。
それでも自分の想いは抑えられずに、どんどん熱くなっていく。だからこの雨は逆に心地よかった。
 部屋のドアにカードキーを入れて、開けた。その音で、セツカは飛び込むように、兄に駆け寄ってくる。
「兄さん、お帰りなさ―――」
 駆け寄るセツカの身体と言葉が固まって、カインは念のため、腕で彼女と距離を測りながらやさしく云った。
「今日は飛び込んだらダメだよ、濡れてしまうから」
「〜〜〜っ! 私のことより早く、シャワー浴びて、着替えてください!」
 怒る様子はセツカでなく、最上だった。
「お弁当は?」
 巣に戻って怒っているのがうれしくて、わざととぼけて問う。
 それに最上は少なからず衝撃を受けたようだった。確かに、食事はきちんと!といつも云うのに頷くけれど、敦賀自身からもカイン自身からも食事の話を持ち出したのは初めてだったかもしれない。
 しかしその言葉を振り払うように首を何度も横に振る。セツカのメッシュまじりの長い髪がさらりと揺れる。それに見とれている間に、セツカがカインの袖をつかんだ。身動ぎする間もなく、真剣な瞳のセツカの瞳から目がそらせなかった。
「着替えたら、用意しますから――風邪引くから、早く」
 すがるように云われて、カインは頷いた。
「わかった」
 ドア入ってすぐのところにあるユニットバスに足を向ける。
「着替え、用意しておきますから!」
 中まで濡れて張りついた服を乱暴に脱いで、敦賀は息をついた。
 直接ではないが、セツカに触れられた部分が、熱い。
 セツカの瞳を敦賀はあざやかに思い出せる。敦賀としてはもちろん、カインとしても、心揺れるまなざしだった。 
――あれは、セツカ? それとも最上さん?
 シャワーを浴びながら、ぼんやり思う。期待してはいけないと思いながら、身体を温めていく。
 冷たい雨を、心から溶かしていくのは彼女だ。
 end 100413up

 短いってことは、自分的にはこの半分くらいなんですが、なんで倍書いているのか自分でもわかりません。楽しいから、ついやりすぎてしまうのですね。スキビ運営サイト様からみれば、これすら短いと思われてしまうでしょうが。どのサイト様も素敵でストーリーテラーっぷりは尊敬します。
 そしてこれで、このお題はカインで埋めていくことが決まったような? 埋める自信はやっぱりありませんが。
 20日までのお祭り、楽しんでいただけたら少しでも幸いです。20日過ぎても、新しく練り直した設定でまた楽しんでいるような気がしないでもないですが。