【自由の作法】※人魚の自覚あたりは超捏造。 これも意外に、人魚らしさの一端かもしれない。 「すっかり旅する人魚になったな」 中学の頃に出会った眠り姫である夢路の言葉に、隼人は笑った。 「俺の性に合ってたんだよ」 それは本当のことだった。気付かせてくれたのはある意味夢路だった。 云うと、夢路も笑みを返す。 「そっか。――やっぱり、海を華麗に泳ぐ人魚は女の子じゃなきゃな!」 本人はフォローのつもりだろうが、そうとはとても聞こえない言葉に、隼人は眉をしかめた。 「そうかもな。眠りっぱなしの男なんて、かっこ悪いだけだぜ」 「ぐ……!」 痛いところを突いたのか、胸を押さえて夢路は呻く。 歌が壊滅的に下手な元人魚は、泳ぐこととある意味決別していた。 おとぎ話の人魚の話を聞いた時、隼人は自分のことだ、と思った。 しかし人魚姫なのに、自分は男で、けれど確かに人魚姫は自分だった。その矛盾に戸惑って、頭が混乱してしまった。 それにいち早く気付いたのが姉だった。 「どうしたの、隼人?」 隼人は問われても黙ってしまった。 ――これは誰かに云ってもいいことなの? どうして絵本に出てくる人魚姫が自分だったのか、性別のことを抜きにしてもおかしい気がする。しかも人魚姫になりたい、ではなく、これは自分の物語だ、と思ってしまったことだ。しかもかなり具体的な映像つきで。 絵本を読んで「こうなりたい」と云う友達もいる中、自分はどうして人魚姫だった、と感じてしまったのか。 短い物語に泣きそうになったのを懸命にこらえて、それからもそのことについては誰にも云わないでいた。しかしそれは隼人の心に重くのしかかって、姉から問われて二日後に隼人は倒れてしまった。 ストレスのような、でも風邪、と診断され、隼人はしばらく寝込むことになった。 心配したのは姉だ。自分とそんなに歳が変わらないのに、移るから、と云われても、隼人のそばを離れようとしなかった。 「隼人、アンタがたおれたのは、なにかかくしているからだよね?」 風邪にしても治りが遅く、隼人の体力も限界だった。風邪を引いてから、2人になるたびに姉にそう問われ、そのたびに否定してきた隼人がついに頷いた。 「うん――――でも、いえない」 「どうしても?」 「どうしても」 隼人の精いっぱいの抵抗だった。 「私、だれにもいわないよ」 姉の真摯な言葉に、隼人の心が揺れた。 「でも……」 「けどっ、このままじゃ隼人、なおらないよ。おねがいだから! ――隼人がくるしいのはいやだよ………!」 「――――っ!」 身体がつらくて朦朧としている意識が、はっきりとして、姉をまじまじと見つめてしまった。 姉は隼人の寝ている掛け布団を握りしめて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。けれど隼人に話す時は、その涙も拭わずにまっすぐ隼人を見つめる。 ――こんなに……心配させちゃったんだ……。 年の近い姉もまだ子供なのに、全力で隼人の心配をしていた。 隼人の負けだった。 「―――――――だれにも、いわない? …………それで、わらわない?」 おずおずと隼人が問うと姉は涙を拭って、頭を大きく上下させ、頷いた。 「うん。だれにもいわないし、ぜったいわらわない!」 強い口調に、隼人は促されるように、これまでのことを話した。姉は初め、真剣な瞳をしていたが、人魚姫イコール隼人、というあたりで、顔をうつむけてしまった。おそらく笑いをこらえていたのだろう、と今を思えばそれがわかる。 けれど、その笑いは見せずにいてくれたこと、それに人に云ったことで隼人の風邪もほどなくして治った。 「にんぎょなのに、およぎはへたなのね」 それ以来そうやってからかわれるようになった。もちろん二人の時か、隼人にしか聞こえないようにだったが。 人魚って云わなければよかった、とその時に思うが、それでも姉があまりに無邪気に云うので、隼人も気にしないことにしたし、実際姉の方がきれいに泳げた。 あの日が来るまでは、そういう日々がいつまでも続くと思っていた、その日々の終わりは予想以上に早く、最悪だった。 そこから隼人は泳ぎという魔物に取りつかれた。 才能がなかったわけではないだろう。 それにもともと人魚姫だ。自分で練習を重ねたのもあるが、姉の代わりに打ち込んだ水泳は自分の名前と記録を叩きこんだ。 泳ぐのは嫌いではなかったけれど、もうまったく楽しめなくなっていた自分がいた。 それを指摘したのは夢路だ。そして隼人をそうさせた間接的原因の姉だった。 2人によって、隼人は泳ぎから解放された。 自分のためにそんなにしないでもいい、逆に迷惑だ、と怒られた。 そして隼人は泳ぐことをやめた。 今は時折、気が向いた時に泳ぐ程度である。なにかの敵のように泳いできたので記録を刻んだ隼人を惜しむ声は多い。けれど意外にも未練は全くなかった。 「アンタは、人魚じゃなくなって、足をもらった代わりに、旅が出来るようになったのね」 姉がしみじみと云う。 確かに、泳ぐのをやめてから、自分にとって泳ぐことはなにかを考えるようになった。それを探すように、ふらり、と出歩くようになった。 普段行かないような場所に赴いて、その話をすると姉が思いのほか喜んだ。その顔が見たくて、もっと距離を伸ばして旅が趣味になった。自分が今まで知らなかった場所を見るのも性に合っていた。カメラを持って、ふらりと出掛けて行く――これは効率のいい趣味で、気がつけば本当に泳ぎに対して、なんの気持ちもなくなった。たまの衝動で泳ぐくらいでちょうどよかった。そんな自分に少し驚きつつ、受け入れた。 そして気付いた。 泳ぐのは生きるのに必要なことで、好き嫌い関係なくそうあるものだと思っていた。だから姉の方がきれいに泳げたのだ。姉にとって水泳は楽しみであり、好きなものであったから。 今ならそれがわかる。 ――人魚姫に、捕らわれることはないんだ。 そういうのも含めて、隼人は自由になった。 ――歌も下手だし、泳がなくなったし。 自分の前世は今もはっきり覚えているが、どんどん彼女らしさがなくなっているような気がする。 ただ、多分一つのことだけをのぞいて。 どこへ行っても、その面影を探してしまうのは無意識だったが、ある時ついに自覚した。 ――馬鹿らしい。 その人はそのまま生まれ変わったら自分と同性になっているはずだ。ただ夢路とその話はして、もしかしたら彼は自分たちのように性が入れ替わって生まれ変わっているかもしれない可能性の話はしている。 ただおそらく夢路に会った時のように、見ればわかる。 だからこそ、直感を信じて、探してしまう。 ――まだ、心は、捕らわれている、……のに。 人魚姫としての生き方というか、心持ちが変わったのに一番影響している人。 隼人が人魚姫と一番深くリンクしている部分だ。泳ぐことをやめる時、彼の姿が浮かんだ。彼ならどう云ってくれるだろうか、そんなことばかり考えた。あの時はすごい会いたかった。それの決断をしても、気持ちは止まらない。転生してきたかもわからないのに、会いたくてどうしようもない。 彼女として一番覚えているのは、海で生きてきたことよりも『王子』の存在だ。 今を、人魚姫と切り離した生き方をしている自分を、かつて自分を助けてくれた王子と重ねる。 ――あの人を、縛りたく、ない。 でも、会いたい気持ちだけはある。夢路のように「会いたい」と事あるごとに云うことはないし、そこから先に恋に落ちることも考えられない。 ――『彼』を、捕らえることはないから。 王子だって生まれ変わっているならもっと自由に生きていいと思う。だから会いたい気持ちだけ胸に秘めて、その後は考えない。すれ違って終わりかもしれない。それでも十分だ。 話を出来るなら、云いたいことはある。 『前世の自分は救われたけど、今はそんなに過去に捕らわれなくてもいい』 この短い間に過去に縛られて厳しかったのは自分だ。 それを思い知って、王子を、せめて自分は解放してあげたかった。 あの時の彼の言葉があって、惹かれたけれど、彼に会ってからの日々はとても楽しかった。他の姫にしてもそうだろう。 今も忘れられないし、あの切ない想いは自分の心にリアルに響くけれど、それでも自分は今、彼女のように今は生きていないのだから、割り切ってしまいたい。 これは夢路にも姉にも云っていないことだ。夢路にも姉にもからかわれそうな気がしたから。 誰かに話すことはないが、やはり夢路は王子をどこへ行っても探してしまうのだ。 end 100917up 頭の中にある断片としてはもっとつめられたけど、話のバランスが自分で取れなくなるのでこんな感じで。煤原と同じくらいに隼人先輩が好きです。 |