【桜のカノン】

彼女はずっと自分にとって、一番大切な宝物のような存在だった。

姉として、生活を共にした姉のユキは、目が見えないせいもあってか、自分の物心がついた時から、とてもきれいで静かな人だった。悪戯をする自分を叱るのも優しいけれど、怒る時にかなしい表情をして、見えない目に自分を移すので、誰に怒られるより反省した。
そんな風に一番、大事にしている人と血が繋がっていないことを知らされた日を鮮やかに覚えている。
その時わいた感情をどうしていいのかわからなくて、気のすむまで街中を走っていた気がする。
――血は繋がっていないから、いつまでも一緒にはいられないかもしれない…………。
血が繋がらないことよりも、その事実が重かった。
そのあたりは自分の感情がついていかなくて、幼いこともあって混乱していたが、もともと知っているはずのユキはずっと自分に優しく、大切にしてくれた。それは変わらないのだ、と自分の気持ちも整理がついた。

数年してから母に聞いてみた。
「どうして、引き取ったの?」
 母は遠くを見つめ、なにか考えるような仕草をして、ゆっくり答えた。
「一志にはあの子が必要で――――そして私たちにも必要だったの」
 言葉の意味はわかったけれど、うまく納得出来なかった。だからこそ、あんな風に問い継げたのだと思う。
「お父さんだけの女の子?」
 自分の問いに、母は苦く笑った。それから頷いた。
「家族だけど、ちょっと特別な、ね――――それもひっくるめて、守ってあげてね」
「うん!」
 母の言葉に大きく頷いた。そんなことは母に云われるまでもなく、思っていたことだ。
 そしてその話の後に、ふと意識して、父とユキを見るようにしていた。母の言葉通り、この家族の中で、父はユキを大切にしているような気がした。
 あの時、もやもやした気持ちが恋だと気付いたのは、もう少し後のことである。

 晴れて両想いになった中を、手を繋いで二人は歩く。目指すは近くの桜並木だ。
 手を繋ぐのは、いつものこと。
 転ばずに歩けるようになってから、ユキの手を引くのは、自分の役目だった。今、二人の関係が変わって、改めて、この先もこの役割を自分で担えると思うとうれしい。
「……ずっと、こうしてたね」
 ユキも同じことを考えていたのか、ぽつりとつぶやく。
「これからも、ずっとだ」
 力強く云うと、ユキが微笑んだ。
「そうだね。あっちゃんが私の腰くらいの背の頃からずっと、こうやって手を繋いで、引っ張ってくれたんだね…………これからも」
 小さい頃の話は少し恥ずかしいが、ユキが今までもこれからも自分にいろいろ委ねてくれるのだと思うと、それも吹き飛ぶ。
「おう、まかせとけ!」
「小さい頃から、私の手を力強く引っ張ってくれて、素敵な男の人になるなぁ、ってずっと思ってたけど、そんな素敵なあっちゃんを、私、独り占め出来るなんて、…………信じられない」
「それを云うなら、物心ついた時から、ずっときれいだって思ってて、ずっと好きだったユキ姉と、これからは別の形でずっと一緒にいられるのも信じられない」
 本心だった。けれどもユキよりまっすぐにそういう言葉が恥ずかしくて、ユキから目をそらす。それでも前を向くのは、ユキの目が見えないからだ。手を繋いでいる時にケンカしたことは滅多にないけど、気はそらさないようにしている。
「あっちゃん…………」
 ユキの呼びかけに、彼女を見ると、頬をうっすら上気させて、自分の方を見ている。ただでさえ、やっと対等な立場になってしまって、はやる心を押さえて、ユキと連れ立って、外に出たのだ。そんな表情で、外だというのに、自制心がおさまらなくなったらどうするのだ。
 そう思いまたユキから顔をそらすと、目的地がすぐそこだった。
「着いたよ」
「うん……桜の花びらの気配があるから、わかる」
 ひらひら舞い散る桜を、木のそばに寄って、二人は眺めた。ユキは目が見えないので、木の幹に手を当て、時折空に手をかざし、落ちてくる花びらを待つ。
「あっちゃんとは………毎年桜を見ている気がするけど、咲いている時はあまり一緒じゃなくて、散る時ばかりだね」
 ユキの指摘に、苦笑した。
 それは自分が意図的にやったことだ。
 少し考えて、それからため息をついてから、答えた。
「ごめん。咲いてる桜より、散ってる方が、ユキ姉にもわかりやすく、………二人で同じこととか共有出来るなって」
 目が見えないことを知ってのことだから、怒られると思ったが、ユキはとても幸せそうに微笑んだ。
「あっちゃんは、やさしい―――うれしい、ありがとう」
 その表情は自分の自制心を振り切るには十分で、ユキを抱きしめた。困ったように、それでもおずおずと、ユキも自分の背中に腕を回してくれた。
 これから、二人の新しい時間が始まる。                                 
 end 1008頃? 110210up

この話は真珠本に入れようと思っていたのですが、多分真珠本が出来ないと思うので、載せました。これは雑誌掲載時からいろいろモヤモヤして、真珠のコミックに収録された時、真珠本人にたぎりながら一緒に書いてまえ―!と先に書き上げた記憶しかありません。原作に勝るものなし、です(自分でも云っててわからなくなった)。