【眠れぬ夜の過ごし方】 今まで住んでいたマンションを浪費によって、父親に追い出され、この家に来た時、落ち着かなくて、菊長は深夜に家を出た。 あてもなく歩きながら、家にいるよりは気持ちが落ち着いた。その途中にナンパして、彼女の家でようやく眠りにつきながら、あの家のことを思った。 ――あの家は……今更、……らし過ぎる。 その家に、新しい居候が増えた。 三男が拾って来たその子は、唯一の身内を亡くし、野宿をしていたところを三男に拾われた。 全財産と呼べるその荷物の多くが、生活にあまり関係のないお茶だったことに少し笑ってしまったが、彼女の淹れるお茶はおいしかった。 兄弟とあまり馴染めない菊長が兄弟たち同様、その子を家に泊めることには躊躇しなかった。もし部屋がないなら、自分の部屋を明け渡してもいい、と思った。 女性は好きだし、彼女も好きだが、多分菊長の夜の相手はしてくれない。三男も末っ子も必死で止めただろうし、長男も眉をひそめただろうし、なにより彼女にそういうのが似合わない。だから優しくするけど、彼女は苦手だった。 菊長から見れば、目も開けていられないくらい眩しいほど、彼女は頑張り屋だったから。 頑張ることは、生きることにおいて、必要のないことだった。 何不自由なく育てられた自分は、それでも常に満たされることはなかった。なにが、と考えても、いまいちよくわからない。 決定的だったのは幼い頃に、父が三男の竹弘と末っ子の蘭丸の母親と再婚したことである。 あの時、菊長の中のなにかが壊れたのだ。 菊長は長男の梅久とも半分しか血が繋がっていない。今更長男が家を継ぐなんて古い話かと思ったが、なんとなく梅久が父の後を継ぐのだと思った。というよりも、自分は関わりたくない、と思った。長男が引き継ぐのなら、自分は父の会社には必要ない存在だ。長男も父も、自分はサポートしたりしない。 そして贅沢なマンションも自分には居心地が悪かった。兄弟が一緒にいるのが当たり前、ということには反対だが、本当に関わらなかった。そういうのに踏み込むことも自分からはしない。 湯水のように親の資産を使い込み、いろいろ試してみたが、うまくいかなかった。それも自業自得と思っていた。自分は、血が半分しか繋がらない兄のために労を費やす気もなく、親の会社で黙って従うほどの根性がなかったのだ。それをわかっていて、もっと楽をしたい、といろいろ手を出した結果がこの家である。ただ菊長に限らず、竹弘以外は浪費で家を追い出されているから、父の血、というほかなかった。 その家は、どこかあたたかい感じがした。マンションの無機質な感じの方がまだよかった。その家に、兄弟が顔を合わせて暮らすなんて、菊長にはもう出来なかった。 荷物を取りに帰るくらいで、時折、夜じゃない時に戻って仮眠くらいの睡眠をとるくらいしか寄りつかなかった。 しかしその状況で居候が一人増えた。 彼女の身の上もだし、父親の財力であれば彼女一人くらい賄えるはずだ、と考えて、兄弟と同じように彼女をこの家に引き止めた。 でもいちえが増えたところで、菊長がこの家を好きになれないのはあまり変わらなかったのだ。 だから今日も菊長は家を抜け出す。 「今日もお出かけですか」 夜、すっかり寝静まるような時間に、台所近くの廊下で菊長といちえは行き合った。 「うん。呼ばれちゃってね」 少し眠そうな顔で、いちえが首を傾げた。 「こんな遅い時間に、ですか」 本当は予定がなかった。けれどもやはり夜になるとどうしても家を出たくなってしまう。今日も結局駄目だった。 「うん」 いちえが菊長に近づいた。いつもほんわかした印象の彼女が、少し真面目な表情をしているのに気付き、はぐらかすタイミングを失って、菊長は動けずにいた。 「菊長さん、少し顔色が悪いです。無理しないのがいいと思いますが、彼女さんに呼ばれているなら仕方ないですね」 「え。そう、かな……」 予想もしない言葉に、菊長は驚いた、と同時によろめいた。さっと手が伸びて、菊長の身体をいちえが支える。 「大丈夫ですか」 「ごめんね」 なんとなくまずい、と思い、すぐにいちえと距離を置く。しかしいちえは今も菊長を支えようとする体勢で、ぽつり、と云った。 「本当に、これから行かないと駄目なんですか?」 ひたむきに見つめられるのは本当に弱い。いちえは自分の魅力を無意識に、一番逆らえないところで発揮する。 実はここ数日、彼女たちの予定が合わなくて、ここで生活していたせいで、あまり眠っていないのだ。 「うーん、駄目ではないけど……」 「それなら、今日はここで眠ってください」 しがみつくように云われて、菊長が逆らえるわけがなかった。 蘭丸の誕生日の時に、こういう顔をされて結局、誕生日会に参加した菊長がいちえのこの顔に「どうしても」じゃない限り、断れない。 「――じゃあさ、」 「はい?」 ここで「添い寝して」と云ってもよかったし、いちえも逆らわない気がしたが、後が怖いのでそれは考えるだけにする。 「お茶、淹れてよ。身体があったまりそうな、熱いやつ」 それを飲んだら、この家でも眠れそうな気がした。 いちえは顔を輝かせて、大きく頷いた。そして菊長を部屋に戻らせて、数分後にお茶を持ってきた。 彼女のお茶は熱くて、おいしくて、飲みきった後、菊長は初めてこの家で熟睡したのだった。 「顔色、良くなりましたね」 あまりに早くに目が覚めて台所に入ると、もういちえは朝食に弁当の支度をしているところだった。 菊長を見て、うれしそうに笑うのに、こそばゆくなる。しかし悪くなかった。 「ああ、あのお茶、よく効いたよ」 「じゃあ、今度から、用意しましょうか」 予想通りに、いちえが云うのに、菊長が首を振る。 しかしお茶を淹れてもらうのはうれしかった。しかも自分のためだけの一杯だ。 だがそのために彼女を振り回したくない。 「でも、俺、帰りまちまちだし」 「そうですか。私も夜は遅いので、起こしてくださって大丈夫です」 不意に、折衷案を閃いた。 ――そうか、それがいい。 「それは出来ない。あ、そうか。一杯だけ、冷蔵庫に作って入れておいて」 「熱々じゃないですよ?」 「レンジであっためてもいいわけだし、うん、それがいいかな」 熱いからというのもあったが、多分それだけで眠れたわけではないと思った。 自分の心はもう、お茶を自分のために淹れてもらえる、というだけであたたかくなっている。 菊長の申し出に、いちえは素直に頷いた。 「わかりました。では菊長さんが家にいる時は、用意しますね」 「じゃあ、お願い」 菊長は笑った。 彼女がいてよかった、と心の底から思った。 「今夜は家にいるんですね」 いちえの言葉に、菊長が意地悪く笑った。 「彼女たちの誰からも連絡して来ない限りはね」 するとうれしそうに顔をほころばせて、「じゃあ、今日も用意しておきますね」と云うのに、「お願い」と重ねる。 割と彼女たちは菊長の予定には従ってくれる。彼女も彼女たちなりに予定がある。許されるのは、突然転がり込むことくらいだ。だからいちえが絵に云ったことは嘘である。 ――でも、この生活に慣れるのも困るけど。 思いつつ、いちえの淹れておいてくれたお茶を飲む。家で寝る時は先に云って、冷蔵庫に作り置きしてもらっている。 そのきっちり菊長の分の一杯をレンジであたためたりしつつ、眠る前に飲む。カップは菊長のだし、他にもお茶はあるから他の兄弟が口にすることはまずなかった。お茶の種類はいちえに任せているので、その時で味が違うのもまたいい。 それを飲んで眠ると、本当に気持ちよく眠れる。 多分彼女たちの誰にもない才能だ。しかし深入りすることはしない。 今の生活が終わるまで、と自分に云い聞かせないと、兄弟と恋のさや当てをすることになる。それだけは避けたかった。 ――だって、誰も気付いてないんだよなぁ。 住むところを失った少女をなにもこの家に留まらせなくていい方法だってあるのに、それを彼らはまったく考えもせずに一緒に暮らすことになった。梅久くらいは考えたのかもしれない。しかし結局父親に云って、条件を出して彼女と暮らすことになったのだ。 ――竹弘が結局は一緒に住みたかったんじゃねーの? そう揶揄する気もないくらい、彼女を望んだのはもしかしたら自分かもしれない、と考える。 彼女が暮らしてもこの家は変わらない、と思った時期はもう過ぎて、彼女がいないとあらゆる意味でこの家は成り立たない、とは感じる。 間違いなく、兄弟は無意識意識的に関わらず思っていて、菊長もその一人なのだった。 そして今日も自室で、彼女が自分のために淹れてくれた一杯を飲んでから菊長は眠りに就く。 end 110202up 「呼称の是非」と同じくらいにあったネタです。菊長兄さんはいつもいいとこどりのイケメンなのですが、私が書くとかっこ悪い。純粋な女の子に一番弱いのは、梅久でなくこの人だと思ってます。 |