【鍋の後】※2011年3月号ネタバレ 「梅久さん、すっかり眠っちゃいましたね」 いちえが微笑みながら、テーブルの上にお茶の乗ったお盆を置いた。 食後の一杯ではなく、食中の一杯である。テーブルの主役の鍋はまだ入っている。しかし、これが二杯目というから、男子4人はすごいと改めて思い知らされる。 「もとかちゃん、よっぽど苦手なんだろうな」 普段夕食時に梅久はあまりお酒を飲んだりしない。菊長は景気よく酒を飲むが、あまり梅久は付き合わない。竹弘に色々云われているが、やはり保護者という立場だからかもしれない、といちえは考えるようになった。 けれども今日は事情が違い、鍋を始めた時からペースは早かった。飲むペースは普通だったが、寝てしまうまでが早かった気がする。 しかし家庭訪問の後だったせいか、誰もひどく云ったりはしなかった。 菊長はいつも勧める相手がいなかったので、矛先を竹弘に向け、それを断りつつ、黙々と食べ続けている。四男の蘭丸も、勧めている菊長も箸は止まっていない。いちえはもう満腹だったので、お茶を淹れに行っていた次第である。 「もとかちゃん開いて、いや、もとかちゃんの肩書に、緊張してたんじゃねえ」 菊長がいちえの淹れたお茶を飲みつつ、笑う。 梅久といちえ以外がお茶を飲みつつ、鍋を平らげる。終わると、蘭丸がひっくり返った。 「おいしかったーごちそうさまー!」 「完食ですね」 微笑みながらいちえが云うと、蘭丸がうれしそうににこっと笑った。 「うん、僕頑張ったよー! でも頑張り過ぎて動けない……」 「大丈夫です、片付けはちゃんとしますからゆっくりしていてください」 「俺は手伝うよ」 竹弘が素早い動作で立ち上がる。 「内くん……」 断ろうといちえは思ったのだが、ただでさえあまり甘えないと指摘されているので、素直に甘えることにした。 「ではお願いします」 うん、と頷いて、竹弘が菊長を見た。しかし梅久に続き、こちらも高鼾で気持ち良さそうだ。 その視線に気付いて、いちえは「手伝わなくていいですよ」と云おうと思ったが、竹弘はさっさと食器を持ったので、云うタイミングを逃してしまった。 「――俺、あんまり叶わない願いってしないけど」 いちえが皿を洗い、竹弘がそれを拭く中、ぽつんと言葉が落とされた。 「はい」 答えつつ、絵本作家は竹弘にとって『叶わない願い』ではないことを頼もしく思う。 「でも今日は、大人になりたかった」 自分の夢以外に、特にあらゆることに執着の薄い竹弘の言葉とは思えないほど強く、熱かった。 「今日さ、家庭訪問で、先生とは過去のことも含めて苦手なのに、きちんと向き合って、普段エロガッパなのに、こんな時だけ大人でずるいって思った。俺も今、大人だったら、もっときちんと澤さんの生活を助けてた」 ――これはこれで、うわぁ、って感じだ。 竹弘の言葉を聞きながら、いちえは頬が熱くなって、鼓動が速くなるのを感じた。 整った顔の元クラスメイトは、天然たらしで、無自覚な分始末が悪い。彼の一挙一動(特に寝起き)に振り回されてしまう。 しかし今日は言葉責めとは、と内心驚く。気恥ずかしい気持ちもあってこういうふうに考察をしてしまうが、本当はこの場から逃げ出したいくらい恥ずかしくて、もっと聞かせてほしい、と思うくらいにうれしい。 ――でも。 大人の竹弘を想像してみる。多分上の2人もかっこいい。その種類は違うだろうが、竹弘もいい男になっているに違いない。そういう想像は楽しかった。 水を差すのはわかっているけれど、これはいちえの譲れないラインなので、あえて云った。 「んー、でも内くんは内くんで、今のままがいいな」 その言葉に、竹弘は少し驚いたように目をまたたかせる。 「え?」 お皿を置いて、いちえは竹弘を見る。 「ほら、私がこの家に来たのは、内くんが私を拾ってくれて、元クラスメイトの縁もあったからで、……今、私がここにいるのは、内くんのおかげなんだよ。だからね、今のままがいい」 ――ドキドキは、あまりしたくないけど。 天然な分、恋愛偏差値は低いいちえの想像をはるかに超えてくるので、困るのだ。 すると、竹弘はそれはもう満面の笑みを浮かべたのだ。 「そっか。今のままでいいのか――ちょっと悔しいけど、よかった」 熱のこもった言葉に、熱いまなざしがどんどん近付いてきて、いちえはあわてる。しかし竹弘の腕はいつの間にかしっかりいちえを捕まえてしまっていて、逃れられない。 やがて。 その距離はゼロセンチになったが、竹弘の頭が落ちたのは、いちえの首あたりだった。 「内くんっ!?」 触れている額が熱くて、いちえが竹弘の腕を支えるようにした。その声に、竹弘がかすかに笑った。 「ごめん。最後まで手伝おうとしてたんだけど、どうやら酒を飲まされていたみたいだ……」 「え、ええー!」 あわてたいちえはなんとか竹弘を彼の寝室まで連れて行き、寝かせた。 皿洗いは手伝ってもらったので、そんなにないし、と思いつつ、竹弘を誘導した時は見る余裕のなかった居間を除くと、テーブルの上は雑然としているが、人の姿はなかった。ちゃんと引き上げたか、手伝ったりしたのだろう。 ――やっぱり、優しい人たち。 いろいろ話は聞くけれど、自分にはとても大切な人たちだった。 「さて」 いちえは独り掛け声をかけて、残りの片づけをした。それは本当に少しの時間だったけれども、とても幸せな時間だった。 end110212up ララデラ最新4話の表紙が、お話の最後に繋がっていて、それでムラムラ書いてしまいました。 |