【スイーツプリンスは彼女に夢中・花房編】 「あれ、小麦粉が足りなくなっちゃった」 いちごの言葉に、花房は困ったように腕組みをする。 「それは困ったね……」 さすがに練習だけど、これ以上使うのは良くない。ただでさえ、練習のために相当の材料を使っているのだ。次に控えた試合に向けてとはいえ、そんなに急いではいない。その状況を把握したのだろう、いちごが遠慮がちに云う。 「今日の練習、おしまいにする?」 スパルタに鍛えたが、いちごは少し残念そうだ。そういうのもいい、と花房は思う。そして閃いた。 「それもいいけど……。そうだ、いちごちゃん、これから僕と一緒に出かけない?」 「え、どこに?」 いちごの問いに、花房はウィンクする。 「――いいとこ。……一度ね、連れて行きたかったんだ」 そうなの、と呟いて、いちごは頷いた。 「今日は練習以外の予定なかったらいいよ」 「そう、ありがとう」 云って、片付けつつ落ち合う時間を決め、着替えるためにそれぞれの寮に戻った。 「そういえば、どこに行くの?」 着替えたにも関わらず、花房とほぼ同時に集合場所にたどりついたいちごが花房に問う。同着とはいえ、きちんとかわいい格好をしているのが、花房の目にうれしい。 「着いてのお楽しみ」 片目を閉じて云うのに、いちごは素直に頷いた。 「うん、楽しみにしてる」 この学校は交通の便が良くない。そんな中で、見つけた場所は、そんなに遠くなかった。 あの日以来、花房はいちごをあの場所へ連れて行きたいと思った。 ――そう、出来れば2人で。 女の子に対して優しく、をモットーにしている花房の唯一の例外。スイーツプリンスと呼ばれる3人の中、樫野はともかく、安藤も彼女をそういう意味で特別視している。特別のあまりに厳しくしてしまって一回くじけそうになったが、ちゃんと戻ってきてくれた。ますます、特別になった。 もうひとつ、特別になった出来事がある。 それがあるから、今日向かうところへ連れて行きたかったのだ。 「あ、次で降りるから、」 云って、停車ボタンを押す。 「わくわくするね」 「うーん、それ、喜んでいいのかな?」 1回頬にキスして、「花房くんにとっては挨拶だよ」と安藤と樫野と、それに花房を脱力させたことがあるいちごである。悪意があるとは思っていないが、それだけ警戒心を抱かれないというのも考えものである。 「へ?」 いちごがきょとんとしたところで、バスは止まった。追及されたくないので、「着いたよ、行こうか」といちごを促す。 目的地はバスを降りて、少し歩いた場所にある。 「看板があるから先に云うけど、これから向かう場所はバラ園なんだ」 わかる前に、表情を見たくて、花房が云うと、いちごの表情が輝きを増す。 「え、そうなのっ? じゃあ、なにか持ってくればよかった」 いちごらしい言葉に、花房は笑って、持っていたバッグをいちごに示す。自分で決めたとはいえ、突然だったが、ちょうどよいおやつがあった。それに紅茶を淹れてきた。 「それは僕が用意しているよ」 その言葉に、いちごは表情を輝かせて、重ねて問うた。 「え、すごーい! ――花房くんの手作りだよね」 わくわくを前面に出した表情に、花房は頷いた。 ――本当に、スイーツが好きだなぁ。 「もちろん」 「うわー、うれしいな。みんなの作るお菓子、大好きなんだ」 「僕もいちごちゃんの感想聞くの、好き」 「そうなの?」 いちごが不思議そうな表情をするのに苦笑する。 彼女の感想は感性豊かで、こちらのイメージまで広がってくるような感じがする。ただそのくらいの評価をもらうお菓子も実はそう多くない。おいしい、と云って食べてくれるが、こっちの創作欲まで駆り立てるような感想はめったにない。そう、試合などで出すものくらいだ。 ――そのくらい、本気じゃないとダメなんだよね。 もちろん別の意味でも、である。 「そうだよ」 花房が返したところで、看板が見えてきた。そこから少し歩けば、薔薇園である。少しずつ華やいでいく景色にいちごは歓声を上げる。 「すごーい、バラの香りも、この距離なのにしてるね」 自然ばかりのこの地域のバラ園は、花房の幼い頃を思い起こさせるところで、練習に忙しいが、実家に戻らない休息日によく訪れる。 ――美しいもの、かわいい女の子……に触発されるけど、原点はここのような気がする……。 無意識に訪れたのに理由がわかった。 校内の薔薇の手入れも楽しくしている。けれどもここくらいに薔薇がいっぱいの風景も見たくなるのだ。 薔薇の花を見ているといろいろなことを思い出し、そうしながら今考えなければならないことを思い返す。うまく云えないが、思考の転換が出来ているのだろう。そういう意味合いでも花房は薔薇園を利用する。 もともと薔薇は原点だ。そう考えると、最近はここまで来なくてもシンプルに物事をとらえて、考えられるようになった。多分、他の2人がすごいから、彼らと肩を並べるように常に努力を重ねていた。それは今も変わらないけれど。 そういう3人の関係にも良い意味で、いちごは入ってきた。 ――これが、アンリ先生の云う、素質なのかもしれない………。 一回くじけたが、それ以降のいちごの伸び率は、他の追随を許さない。初めは最下位グループでも足を引っ張りそうな実力が、今ではおそらく花房たちと肩を並べるほどになっている。実力でも花房と同じグループに入れるだろう。 ――なにより一番すごいのは………。 食べる人の考える思いやりに、それを菓子作りに転換させるアイディア力、逆に基礎が足りないからこそ新しいことの挑戦出来る。 「わー、きれいー! 花房くんの作る薔薇もきれいだけど、本物の薔薇もやっぱきれいだねー」 薔薇園に足を踏み入れると、いちごの目はさらにきらきらと輝きを増した。 「うん。いちごちゃん、知ってる? 花びらや花を作る時は、本物よりもきれいに作らないといけないんだよ」 「どうして?」 「花や花びらはそれだけできれいだから、同じくらいきれいに見せたい場合は本物よりもきれいにしないとかすんでしまうんだよ」 造りものはしょせんそれだけだ。プラスの価値を与えるなら、もっともっときれいに見せないといけない。 「そうだね。花は咲いているだけで、きれいだものね。生きてるもの」 「――っ! そうだね、生きてるから、きれいなのか……」 あたりまえだけど思いもよらないことを云われて、花房は息を飲んだ。そういう発想が出来るからこそいちごにはかなわない。そう思う気持ちを込めて、微笑んだ。 「でもこういう花びらで、なにか作れないかなぁ。飴細工は花房くんが作ってくれるから、もっと違うところから考えてみよう」 云いながら、薔薇の中なのに仁王立ちして、不似合いなほど難しい顔をしていちごが考え込む。花房も薔薇を愛でつつ、いちごにならってイメージを膨らませてみる。 ――いちごちゃんはまだ、得意の分野がないからなぁ……。 けれども、どのスイーツも好き、というの彼女の特別を思い出し、そこから考えを膨らませる。 「ああ、いちごちゃんが作ろうとするいちごタルトに邪魔でなければ、上に、花びらの砂糖漬けで小さな花を作りたいね………」 想像以上に難航しそうな、細かい作業に、花房が高揚してくる。 呟きは口を出てしまったようで、それに思案中だったいちごが反応した。 「わぁ、それ、すごいね! ――でも。私じゃ今は無理かも………」 最後の言葉は自信なさそうに小さくなって、しょんぼりとうなだれる。花房はそのいちごの言葉を打ち消すように、首を横に振った。 「僕が作るんだ。ちゃんと味がハーモニーになるようにして」 「うん! 花房くんならきっと出来る!」 いちごの言葉に、花房は苦笑する。 ――僕たちを試しているわけじゃないけど、いちごちゃんは僕たちを過信してるよね………。 確かに、今のクラスでは実力はトップクラスだが、いちごも彼らが確実に持っていないプラス要素を持っている。しかしいちごにまっすぐ信じられれば、やる気と負けん気が出てくる。 そう示唆するのは少し先にして、花房はにっこり笑いかけた。 「そうだね。戻ったら、やってみようか」 「うん!」 そうやって、自分に頼ってくれるのが今はうれしかった。 ――独り立ちしてほしいけど、やっぱりいちごちゃんは女の子だから。 自分としては甘やかしたくなる。女の子にしては厳しくしている方だが、一回追いつめてしまったこともあり、最後の一戦はどうしても甘やかしたい。もっとも、男子女子に関係なく厳しい樫野がいるから甘やかし過ぎにはならないのだが。 そのいちごが作るいちごタルトはまだまだ試行錯誤中だ。試食させてもらったが、かなりおいしかった。けれどもどうにも納得出来ないらしい。 ――いちごちゃんの舌の記憶力はすごいからな………。 だからこそ、完成が楽しみである。 彼女の祖母のいちごタルトとまた違った彼女なりのいちごタルトが出来るだろう。 「でも、本当にすごいね。花房くんのお父さんも、こういうところで仕事をしていたんでしょう」 幼い記憶に、この場所はよく重なる。花房は頷いた。 「うん。だから僕はこういう場所でお店をやりたかったんだ」 「過去形にしちゃダメよ、花房くん。お父さんはもういないけど、夢は生きているんだから」 そう云ったいちごを花房は見る。 ――本当に、いちごちゃんはすごい。 「父がいなくても――夢は生きているのか……」 呟くように云うのに、いちごは大きく頷いた。 「だからこそ、叶えるっていうのもあると思う。あたしもおばあちゃんはもういないから……って、あたしの場合はそれだけじゃないんだけどね」 皆それぞれに夢がある。 安藤や樫野にしてもそうだ。花房も父親が亡くなったからとこの道をあきらめることはしなかった。 そういうことかもしれない。 その時、一段と華やかな場所に出る。見ると、その近くにテーブルがあった。白いテーブルは利用する者が少ないけれど、きれいだった。そこに白い椅子がある。 「ずいぶん歩いたから、少し休憩しようか」 促すと、いちごは目を輝かせた。 「うん。でもここ、すごいね。薔薇の匂いに酔いそう……」 「贅沢だよね」 云って、テーブルにいちごを座らせると、花房は向かいに座る。 その少しの間、ずっといちごは薔薇をせわしなく見ていた。 「なにかモチーフ浮かんだ?」 「なんとなく……今はテーマに薔薇がないけど……ちょっといいかな?」 最後の問い、いちごの意味するところがわかって、花房は頷いた。 「うん」 いちごは小さなノートを出して、一心になにかを書き始めた。それは文字やら絵やらいろいろ混ざったもので、向かいから見ても楽しそうな雰囲気が伝わってくる。 持っていたバッグからいろいろ出して用意するが、よほど集中しているのかいちごは顔を上げない。それが面白かったから逆に好感を持ち、花房はいちごのカップだけ用意する。ポットだが、どうせなら淹れたてがいい。 ――こういうのには、僕たちはちょっと足りないんだよね。 いちごのアイディアは奇抜な面も含めて、群を抜いていた。 ありきたりではなく、そして絶妙の風味のバランスで、最高のものを作る。そうしながら、最後の最後でミスをしたりもする。なかなかに面白い。 本当にどんなふうに出来ているのか、気になる女の子である。 そしてこうやって眺めていても、まったく飽きない。それどころか、夢中になって書いているあのノートを気がすむまで書いたら見せてほしくて仕方ない。 「ごめんね、花房くん。つまらないよね」 花房がゆっくりと紅茶を飲み終わった頃に、いちごが顔を上げて、申し訳なさそうな表情で云った。 「大丈夫だよ。薔薇を見ていたから」 そうは云っても、薔薇に目を向けるよりもいちごを見つめていた時間の方がはるかに長かったことは自覚している。 しかしいちごはその際に気付かずにほっとしたような表情になった。 「そうか。そうだよね。ここには花房くんの好きな薔薇があるものね。でももう少しだから待ってて」 「うん」 そうやって約束をくれるところがうれしい。 それから花房の視線に気付かないいちごは、紅茶のおかわりを注いだ花房にも気付かずにいた。一口飲んだところで、いちごは顔を上げて大きく息をついた。 「終わった?」 「うん、本当にすごい薔薇で、思った以上にアイディアが浮かんできたよ」 額にうっすら汗を浮かべているのは、それだけ集中した証なのだろう。小さなノートはすぐ字と絵でいっぱいになって頻繁にめくっていたことを考えれば、想像に難くない。 「見せてくれる?」 終わった合図に閉じられたノートを指さして問う。それにいちごは戸惑いながらも、差し出した。 「おおざっぱに書いていて見づらいけど、それでもいいなら」 「ありがとう」 そうして紐解いていく。さすがに走り書きが多いが、絵もついているので、内容はなんとなくわかった。どれもこれもいちごにしか思いつかないようなものばかりである。 ――薔薇って、こんな風に使ってもいいのか……。 アイディアを盗むわけではないが、目から鱗がこぼれそうなものもある。しかしこれは試してみないとわからない危険を孕んでいた。 「すごいね」 「うん、試してみないとわからないんだけど、とりあえず思いついたものだけ書いてみたんだ」 じっくり眺めて、それからそっとノートを閉じて、いちごに返した。 「ありがとう。でも、アイディア盗まれちゃうから、あまり安易に人に見せない方がいいよ」 前にそんなことがあった。多分それ以降は警戒しているのだろうが、一応釘を指しておく。 「うん。花房くんだから見せたの」 案の定、教訓は生きていて、それに加えて、予想外のことを云ったので、花房は目を見開く。 「僕だから?」 「うん。花房くん、そんなことするわけないもの」 にっこり笑顔で云うのに、花房は目を丸くする。そして動揺を隠して微笑んだ。 「そんなにあっさり信じちゃダメだよ」 「え………?」 困惑したようにいちごの瞳が揺れる。 ――多分、今いちごちゃんが考えているようなことじゃないんだけどな。 「アイディアは盗まないよ。でもそうやってまっすぐ信用されちゃうと、裏切りたくなっちゃうな」 「は、花房くん……」 泣きそうな表情になって、花房を呼ぶ。 それが花房にどんな効果をもたらしているかなんて気付かないのだろう。 全部隠して、花房は軽くウィンクした。 「なんてね。冗談」 「もうっ!」 眉を上げるいちごに微笑みながら、紅茶を淹れて、お菓子を用意したのをいちごに差し出した。 「さぁ、どうぞ」 それにいちごは破顔して、それまでの会話を忘れてくれた。 そうしながら2人はむせかえる薔薇園の中で、楽しい時間を過ごしたのだった。 end 101022up すごい時間がかかっています。何故何故っ? 多分先月くらいに書き始めて、ちょっと長そうだなって思ったのとかで放り投げたような気が。ただこれ書かないと新シリーズ見られない自分強迫観念で終わらせた。 |