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【機械のココロ】 記憶は、二年前からしかない。 ――自分は造られたものだから。 何度もテストをするように自分の動作を確かめるムーンの姿が一番初めの印象で、バウンティアでの初めの記憶は、ノワールだった。ゼクスに面通ししてから、内部に入りノワールに会っているというのに。 エルには不思議で仕方がないが、やはり面通しした時のゼクスではなく、通路で行き合ったノワールである。 ノワールのイメージは重いコートを羽織っている印象で、その階で行き合う人間はほぼいないが施設内で暮らしているはずなのに、おかしいと感じた。機械である自分が「おかしい」と思うのはいささか不思議だが、不自然なような気がした。 通路で行き合って、ムーンに云われたとおり、そつなくすれ違う人に会釈をしようとして、その重厚なコートに身体が止まった。そのままその姿を凝視してしまう。 そういうことはしてはいけない、とムーンに釘を刺されていたのに、だ。 しかし見られたコートの持ち主は、特に気分を害した様子もなく、エルを見て、その視線がコートにあるのに気付き、ぽつり、と云った。 「これ、CA」 声が意外に若い、と思うのもプログラムなのだろうか。そう感じつつ見つめると、コートのフード越しに見えるエルを見つめる赤い瞳に赤い髪がよく映えているように感じた。 ――きれいだ。 その瞳は生気がなく、感情に乏しい。それがなければもっといいのに。 「ああ、そうなんですね」 これはムーンにプログラムされた対人間の応対会話である。無難に返せたはずだ。 「新しく、入った人?」 「人、ではないですね。俺は機械なんで」 偏見を与えるかもしれないが、ここに住んでいるならエルと関わりは深くなる。偏って見られるならそれでいい。 しかし少女の瞳は驚かないどころか、動かない。 「そう。それでここに住むの」 問いを重ねてくるのに、エルは戸惑う。こんな会話シミュレーションはない。 「ええ。ここでないと俺の身体の管理は難しいので」 これはムーンの指示に従ってのことだ。ムーンはエルの制作者だから、彼女の言葉はエルにとって絶対である。反駁したい気持ちすらないが、そうすることが自然だと思っている。 「あなたはなんていう名前?」 「エルです。あなたの名前も聞いていいですか」 エルの言葉に、彼女は驚いたように目を見開く。それから表情を戻し、答えてくれた。 「ナスカ。だけどみんな、ハンターコードで呼ぶ」 ナスカという名もふさわしい。ハンターである以上、危険が付きまとうので、ハンターコードで呼んだ方がいい。けれどもその名はもっと彼女に合っているのかもしれない。 「ハンターコードは」 この身体は機械なのに、声が震えたような自覚があった。 ナスカはひた、とエルを見つめた。そしてゆっくり口を開いた。 「――ノワール」 その日のナスカは心持ちさみしそうに見えた。機械の心なんてたかが知れているが、2年経った今、表情に乏しいナスカの心情を汲み取れるくらいにはなった。表情に加えて、感情も乏しいけれど、隠さないのでわかりやすかった。 エルのメンテナンスの様子を見つつ、ナスカはなかなか去る様子がない。 「どうしたのですか」 ナスカが心配になって、エルが問う。もっともメンテナンスしていても、通常の生活においても、自分の休息なんてほとんど必要ないのだ。だから2年の間にハンターのランクは上がった。それでもナスカはその2年以前の蓄積もあり、追い抜くことは出来なかったが。 彼女はエルに似た機械のように、狩りをする。それ以外の彼女もどこか人間味が足りない。不思議な少女だったが、エルは彼女を好ましく思った。 その彼女が時折、今のようにものすごく人間らしい表情をする。 「エルが人間だったら、一緒に眠るのに」 ぽつり、とうなだれるような仕草でナスカが云う。 それでエルは思い出した。 よく怖い夢を見る、と云っていたことを。時間を共有しても、あまりない会話の中で一番聞いたのはそれだった。 「怖い夢を見るんですか」 こくり、と首を傾げるようにして、ナスカは頷く。 「今日は、ソードもいない……」 「――誰かがあなたのそばで眠れば、その夢は回避出来るのですか」 ナスカは今までになく必死な様子だった。時折、だが間引きして見ていたのがここのところ頻繁なのだろう。それは想像出来た。 ナスカが頷いた。 「少し、時間をくれますか」 「………?」 エルの言葉を測りかねたのか、ナスカが首を傾げる。 「メンテナンスが終わったら、一緒に寝ましょう」 それは言葉にすれば、発したのが自分でも、聞いた自分には少し刺激が強かった。そんな言葉はこの2年まったく発さなかったので、少し変な気持ちだった。しかしそれも、ナスカのほんのわずか崩した、けれど最上級の喜びを表した表情を見ればなくなった。 ナスカには寝づらい夜がある。けれどもその夜を共に過ごすのは初めてだった。 メンテナンスが終わり、着替えてエルはナスカの部屋に向かった。 ――断ってもいい。 眠くなった、とかそういう理由でもいいから。 たまにソードがエルに『ナスカは無防備過ぎる』と呟くことを思い出す。 自分は機械だからいい。そういうことにはならないだろうから。 しかし運動神経もあり、CAを従えているからと云って、機械であっても性別は男に分類されているわけだから、そこは躊躇してもらわないと困る。しかしナスカにはその情緒は期待出来ない。 育ての親であるソードすら頭を痛めているらしいから、もう云っても駄目なのだろう、と。 ノックをすれば、「エル?」と問うてから、入口が開いた。 ナスカの部屋には何度か来たことがある。殺風景なおよそ女の子らしくない部屋は、エルの記憶にあるままで、ナスカはドアの前でエルを見ていた。 「ありがとう、エル」 室内はもう暗く、ナスカの顔も良く見えないが、彼女が微笑んでいるような気がした。そんな表情はほとんど見たことがなくて、エルは機械だというのに、明るくして彼女の顔を見たいと思った。 しかしすぐに腕を引っ張られ、ベッドに身体を押し込まれる。そのままナスカも身体を滑り込ませる。 「俺は、あたたかくないですよ」 「そんなことない。人に比べて体温は低いかもしれないけど、エルはあったかい。それに、優しい」 ナスカの言葉に、エルの中でなにかが息づくような不思議な感覚を受ける。しかしそれはエルがそのイメージをつかもうとしても、うまくいかず、すり抜けてしまう。 「そうですか」 「うん。だから、眠れそう――」 そういった言葉通りに、ナスカはやがて眠りに引き込まれた。 ――彼女は、俺を変える……。 うまく云えない。ナスカと話す時、こういうふうに時間を共有する時に、不意に湧いてくるなにかをエルは懸命に解析しようとするのだが、いつも言葉に出来ない。ただ嫌な感情でないことだけはわかる。 彼女に出会っていなければ、自分はどういうふうに機械として生きたのか、ふと考える。 しかし、とエルは首を横に振った。 機械でも機械でなくても、自分はナスカに出会ってしまった。 ――それが、すべて。 そう結論付け、エルは目を閉じる。 近い距離にある寝息が安らかなのに少しほっとして、その息が別のなにかに変わる時にはすぐに対応するだろうことを想定し、あまり訪れることのない眠りに引き込まれていった。 end 110131up エルです。ゲーム内のネタバレを孕んでのエルです。しかししかし、大佐と同じ声の人というのは声音はともかくトーンがなぁ。でも好き。 |