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【きみのために出来ること】 初めは、少年かと思った。 そのくらいの身のこなしに身体つきだった。しかし、倒れた人物はまごうことなき女性であった。 倒れた彼女を見て、ナイヴスは困惑した。けれど自分に与えられた時間はあまりない。 素早い動作で、彼女の息がないことを確認して、抱き上げる。その間数秒、無駄はまったくなかった。 彼女が目を覚まして、状況を説明したら、クリムソンに預けて、自分は去ろうと思った。 彼女はハンターだ。 ファームに連れてくることも良くないとわかっていたが、そこは彼女を女性と気付かなかった自分が悪いことにしておく。 それでもなんとなく去り難かった。 そして彼女が目を開いたのを見た時、ナイヴスは気付いたのだ。 ――目を開けたらどんな感じなのか、見たかった……。 しかしその整った表情にはめ込まれた瞳はどこか機会のようで、気がついたら、ナイヴスは自分でもわかるくらい、ノワールと共にいるようになっていた。 「……ヴス、ナイヴス」 呼びかけに我に返った。 視線を向けると、ノワールがこちらを見ていた。その瞳がどこか不安げに揺れている。少し物思いにふけっている間になにかあったのだろうか。 「どうした」 問い返すと、ナイヴスの言葉に驚いたようにノワールはかすかに目を見開いた。 「えと…、ナイヴスがどうしたの」 目を伏せ、困ったようにナイヴスの服をつかむ。 「――っ!」 この少女のこういう仕草のすべてが無意識だと、クリムソンの診療所で彼女の怪我が癒えるまで生活している中で知っている。年相応の女性らしさも計算もほとんどない。 それなのに、惹きつけられた。 今まで出会ったどの女性にもないその無垢な感じは不可侵領域のようで、ナイヴスは丁寧に、そしてきっちり距離を置いて接している。今もそうだ。 そしてナイヴスは自分を取り戻した。今はノワールと日用品の買い物の途中だった。 「すまない。考え事をしていた」 「そうなの」 ノワールの答えに、ナイヴスは彼女を見て、云った。 「きみのために俺になにが出来るか……、考えていた」 彼女が望むことで自分に出来ることはなんでもしてあげたい。 本当なら誤解が生んだ一瞬の出会いで終わるはずだったのに、ナイヴスが彼女のそばを離れ難く思うようになっている。 空を見上げてから、ノワールに目を戻した。 「――ナイヴスにはよくしてもらってる。これ以上、お願いしたら駄目だ」 それはどこか自分に云い聞かせるような響きに、ナイヴスはとっさに云った。 「なにか、あるのか」 問いに、ノワールは目を伏せたまま、かぶりを振る。 否定はしているが、なにか自分に対して要求がある気がする。それは確信だ。 そして少し考える。 ――もしかして、バウンティアに戻るために、俺を手土産にしようというのか。 こんな思いつきに迷ってはいけないのに、ナイヴスは一瞬、迷った。けれどもすぐにそれは出来ない、と心に決めて、ノワールの腕をつかむ。ナイヴスの手の中に余る感触に一瞬ひるむ。けれど引けない。 「俺を狩って、差し出したいか」 ノワールは顔を上げた。その瞳が大きく見開かれていた。赤い瞳は信じられないものを見るようにナイヴスを見て、それから泣きそうに歪んだ。 「それは、考え、て、ない」 震えるくちびるが、言葉を拙くさせる。 「そうか。でも、君が望んで、俺になにか出来ることがあるのだろう? 俺を差し出すのではないなら、聞きたい」 今度のノワールの赤い瞳は、戸惑いに揺れていた。顔を伏せることはしないで、くるくる変わる表情を無防備に隠さない。それがまたナイヴスの心をかき乱す。 「怒らない?」 思考をめぐらせて、ナイヴスを差し出す以外の自分の危険を考える。自分でも笑えてしまうのだが、レインやクリムソンが云ったら即拒否してしまうようなことでも、ノワールなら許せる。ナイヴスは云った。 「差し出すなら話は別だが、怒らない。それは誓おう」 それでも悩むように顔を伏せていたが、やがて小さな声が聞こえてきた。 「……手を……繋いで、ほしい」 初め、幻聴かと思った。 しかしいつになく小さなノワールの声は、ナイヴスにしっかり届いていて、だから聞き返しはしなかった。 「今か」 「うん、寒いから」 ノワールの言葉に手を差し出すと、うれしそうな表情で、ナイヴスの手に、自分の小さな手のひらを重ねて絡ませてきた。 その手は、驚くほど冷たかった。 「ナイヴスの手、あたたかい」 嬉しそうな声音で云われても、自分はそんなに体温は高くない。ノワールが異常なのだとしか思えない。 しかし冷たくても、ノワールの手だと思うと心の奥底が湧き上がるような気持ちになる。そして自分の体温がもっとノワールに伝わればいい、と強く握りしめた。 「君が冷たいんだ」 「寝ている時に、夢を見る。昏い、私の知らない記憶の夢、だと思う。それを見た日はこうなる」 「そうか」 こういう時のノワールは、淋しげに独りでいる印象を受ける。隠さない代わりに、そんなにすがりついてこないノワールを見ると、抱きしめて離したくなくなる。 ナイヴスは立ち止まった。そして片手で、ノワールの肩をつかんだ。 「どうしたの」 「少しだけ、もう片方の手を貸してほしい」 「……? うん」 ナイヴスの言葉に戸惑いつつも、ノワールは空いている手を差し出した。 その手をナイヴスが包み込むように握りしめた。 「やはり、こっちも、冷たいな」 「買い物、行けなくなる」 困ったようにノワールが云ったが、手を離すことはしなかった。なだめるように、ナイヴスが云う。 「だから少しだけ、こうさせてほしい」 「……うん」 温度が伝わるように、強く握りしめていると、少しあたたかくなった。名残惜しいが、いつまでも手を握り合って立ち止まっては変な奴らに絡まれる。腕に自信はあるが、追われる者として余計な戦闘は避けたい。ナイヴスは片方の手だけ解放して、もともと繋いでいた方はそのままで「そろそろ行こう」と云って、歩き出す。ノワールはそれに従った。 「夜も、こんな風に手を繋いで寝てくれたら、悪い夢、見ないのに」 その言葉はさすがに心臓に悪かった。 まだファームにいる連中はノワールの育ちなどがわかっているにしても、 心の中で大きくため息をついて、ナイヴスは云った。 「――ナスカ。悪いことは云わない。それはもっと好きな相手に云った方がいい」 「好き」 ためらいもない言葉に、ナイヴスの鼓動が速まる。 「その好きとは違うと思うが」 「そうなの。違うかわからないけど、一番好き」 わからないけれど、と云い募るノワールが愛しかった。 ナイヴスは我慢出来ずに、ノワールを抱きしめた。 「俺も一番好きだ」 その言葉に、ノワールは驚いたようだったが、おずおずとナイヴスの背に手を回した。 「うれしい。……それなら一緒に寝てもいいのに」 継がれた言葉にどうしていいのかわからなくなる。 「やっぱり、それは困るが、善処しよう」 「うん」 惜しむように身体を離して、ナイヴスはノワールの手を握りしめた。 すると先ほどより温度が上がっていて、それがうれしかった。 end 110203up 中の人の声目当てで買っただけあって、ナイヴスが一番好きです。 |