【なくなった絵葉書】


 博が洋行してから、はるは本でしか知らないエゲレスに思いを馳せることが多くなった。そこに彼女の愛しい人はいる。想いを彼女に残して、結婚適齢期な彼女に5年滞在すると云い残して。
「たえちゃん、」
 はるの言葉に、たえは作業の手を止めて、はるを見る。
「なによ」
「エゲレスってどんなところだろう?」
 それに、たえは大きくため息をつく。
「アンタその台詞何回目よ」
 腰に手を当て、居丈高に云うのに、はるは箒を抱えるようにして、びくっとする。
「え、そんなに何回もした?」
「してるわよ!」
「え、ごめん……」
「まぁ、いいけど。ちょっと面白いこと聞いたから、せっかくだから教えてあげるわ」
 にやっと笑ったたえに、はるは興味を引かれて、たえの方に身を乗り出す。
「なに?」
 普段は嫌がるが、今日のたえははるのその行動を嫌がらなかった。
「エゲレスでは、誕生日会はもちろんだけど、その時に状を贈る習慣があるの」
「状?」
「絵葉書みたいなものでね、それに『お誕生日おめでとう』とその人への言葉を書くの。それを贈り物と一緒に渡すのよ」
 こういうことをたえが教えるのはかなり珍しいのだが、それに気付かずに、はるは感嘆の息をついた。
「へえぇ。そっかぁ…………!」
 それからしばらくは夢見心地で、はるはたえに何度も怒られる羽目になった。

 それから数カ月して、はるとたえが休日に買い物に出かけた時、はるは文具売り場に寄ってもらった。そこにある絵葉書を見て、その種類には考え込んでしまった。
 そこから動かないはるにたえは急かさなかった。
「こんな感じかなぁ?」
 たえに追い立てられないのをいいことに文具売り場で一生懸命に首を傾げつつ、何枚かの絵葉書を手に取る。
「博様に送るの?」
 問いかけに、絵葉書から目を離さずにはるは頷いた。
「どこに送っていいのかわからないし、それに送っても受け取ってもらえるかわからないけど、贈り物を用意するよりはまだいいかなって……」
 何か月前に聞いた誕生日に贈る状のことだった。
 絵葉書のようなもの、と聞いたので今は絵葉書ですませようと思った。これに、自分の想いを書く、というのも恥ずかしいし、
「それでいいんじゃない? こっちじゃまだ習慣になっていないみたいだし」
「うん……書くだけ書いてみよう」
 それからたえを待たせ、はるはようやく一つの柄を選んだ。

 ノックの音に、はるは顔を上げた。
「はい?」
 使用人宿舎まで忍び込んでくる博はもういないので、はるの部屋を訪れるのは親友で同僚のたえか、使用人頭の千富くらいだ。他の使用人とは少し距離を置かれているので、彼女たち以外ということはほぼない。
「あたしよ」
「たえちゃん、入って」
 その言葉に扉が開かれる。普段なら用件をすぐ云うのに今日はそういうこともなく、もじもじしている。自分が珍しく文机に向かっているからだろうか。
 そこには博への誕生日の祝いの言葉や彼への気持ちを書いた絵葉書が乗っている。絵葉書の裏に書いた文面は字が小さくて見づらい。それにたえだから、はるは隠さなかった。
「どうしたの、たえちゃん」
 不思議に思いながらも問うと、たえは思い切ったように口を開いた。
「ねえ、博様へ、絵葉書に気持ちを書いたの?」
 問われて、はるは逡巡しながらも頷く。
「会えない代わりに書いてみたんだけど、やっぱりさみしくて」
 それに送れないから自分で持っていなければならないのも少しさみしい。それでも絵葉書の裏に文章は書いた。ひょっとしたら送れるかも、と思い住所の部分は残してあるので、書ける部分は本当に少なかった。
「そう」
 云って、たえははるの頭を撫でた。
 親友は意地っ張りなので、こういう風に優しくされるととてもうれしい。けれども今はその相乗効果もあって、泣きたくなる。
「…っく、」
 嗚咽を聞いたたえが、はるの頭を引き寄せる。
「……今日は特別。泣いてもいいわよ」
 その言葉に甘えて、はるは盛大に泣きじゃくった。
 たえははるを引き寄せて、頭を撫でる。ひとしきり泣き終えると、たえが云った。
「じゃあ、その絵葉書は一番上の引き出しの奥にでもしまって、来年の博様の誕生日まで封印しておくことね。もしかしたら新しく好きな人が出来ているかもしれないし、」
「……ふふ、そうならないわ」
 はるがそっと笑って云う。
 さみしいけれど、ここにいる限りは待っていられる。博のいない屋敷ははるにとって少しさみしいものだが、他の兄弟もそれなりに優しくしてくれるし、仕事をしていられると気が紛れる。工場の方がいいのかもしれないが、すぐに縁談を持ってこられそうだ。その分ここなら事情をわかっているから、少し楽だ。
 ――あと、4年ちょっと。
 今こんなにさみしいから待っているのは嫌だけど、それでも待っていたい、と思う。
 ――一年に一回、博様にこうやって葉書を書こう。博様の気持ちを確かめるのはもう怖いから出せないけれど、時計を見るだけよりはいいかもしれない……。
 きっと5年連続で書いてしまうのね、とそっと笑って、たえが自室へ戻った後、はるはたえの云う通りに、封筒に入れて一番上の引き出しの奥にしまった。
 翌年の博の誕生日近くも、はるはまた絵葉書を買った。去年の自分がどういった言葉を書いたかなんとなく覚えていて、それとだいたい似たようなことを書いてしまった。けれども去年の分は確かめるのに見返すのが恥ずかしくて、自分の気持ちの区切りだと割り切って、はるは前のを見なかった。

 そして封筒が5枚になった。
 ――結局、待っちゃった………。
 ただ残りの半年、なにかが変わってしまうかもしれない。
 博の方でも変化はあるかもしれないし、その残りの期間ではるになにか起こるかもしれない。
 ――私の気持ちはともかく、博様もまだ気持ちが変わっていなくて、ちゃんとお会い出来たら、この葉書を博様に渡そうかな……?
 けれども、5年分の想いを見られてしまうのは恥ずかしい。
 一晩考えても答えが出なかったので、それは博が帰ってきてから委ねることにした。

 しかし博がちゃんとこの屋敷に戻ってきて、自分のことを好きでいてくれたことにすっかり有頂天だったはるはそのことを忘れてしまっていた。
 博の荷物を持って、博の部屋に向かう。お茶を淹れに行こうとしたはるを博は抱きしめることで引き留めた。
「博っ!?」
「はるが足りないんだよ。もう少しこうさせて」
 背中のぬくもりは博のものだ。
 そう思うとうれしさがこみ上げる。
「博は私が待ってるって思ってた?」
「うん。証拠つきで報告もらってたし」
 自信満々の口調に、はるは首を傾げた。
「証拠? ――報告?」
 すると博はにこっと笑って、はると手を繋ぐとはるが持ってきた荷物を開けた。名残惜しそうに手を離して、荷物を探る。乱雑な中身にも関わらずそれはすぐに出てきた。
「ほら」
 はるは目を疑った。
「え、これって…………」
 おそらく今も、机の引き出しの一番上の奥にあるはずのもの。
 博はにこっと笑った。
「ついてた手紙は捨てちゃったんだけどね。こっちはずーっと大事に持ってたよ」
「ど、どうして………?」
 確かに一回書いて、封筒に入れたらもう中は見なかった。しかし中身がないとは夢にも思わなかった。
「たえが、君の近況と一緒に送ってくれたんだよ」
「たえちゃん………」
「オレたちが離れて、連絡をとっていなくてもいいように、たえはまめに手紙をくれてたよ――少なくともオレは、なんだけど」
 ずるくてごめんね、と重ねる言葉に、はるは首を横に振った。
「いいえ――こういうのでも、博が私を想ってくれたなら、充分」
 もともと博に宛てたものだ。
 予想もしていなかったから恥ずかしいけれど、この葉書たちが博の気持ちを自分に留める役目を担っていたのなら十分だ。
「なくても、ずっと好きだったと思うけど?」
 額を合わせて、上目遣いで云われる。はるは微笑む。
「それならもっとうれしい」
「でもさ、兄弟は全然はるのこと教えてくれないし、ちゃんと待っててくれるかなーって思った時はこれを見てた。毎年オレの誕生日頃になると送られてきて、『今回入っていなかったらどうしよう!』とか思ってたりしたよ」
 その気持ちはわかる。
 洋行から帰ってくる日を刻んだ時計を返す必要がなくなったらどうしよう、とずっと考えていた。博もそういうのに似た気持ちだったのだろう。
「しばらくは、エゲレスに行かない?」
「絶対しない、とは云い切れないけど、今度ははるを連れて行くつもりだし、今ははるのそばにいたいよ」
「私も……博のそばにいたい……」
 博が5年間滞在した異国でも、この屋敷でも、別の場所でも、どこでもいい。
 5年前は踏み出せなかった。
 けれど、今なら歩いて行ける。そんな2人になれたのだと、はるは博に抱きしめられながら思った。
 end 100915up


博誕生日おめ!なのに遅れてしまいました。一応5年の間に、何の連絡も取っていない設定。配信イベントとはちと違うやも。