【未だ、傷を持たず】


 手のひらの傷は、契約の証。
 自分の手のひらに、その契約はない。

 甘粕は時折、手のひらを見つめる。
 彼の所属する組織のライダーたちは、皆一様に手のひらに、目を背けたくなるくらいくっきりした深い傷がある。
 ――あれは……サブスタンスとの契約。
 今にも血を流しそうなそれは、けれど甘粕にはうらやましかった。
 あれはライダーの資格、そして、教官の完全支配下の証明。
 ライダーになりたかった。そうしてあの教官のもとで犬のように支配されたかった。
 サブスタンスたちに選ばれず、かなわなかった夢を、また見てしまう。
 ――あの人のもとで………。
 ライダーたちの4年ぶりの戦い、今のチームの初陣をあざやかな手腕で勝利をつかんだその実力に、甘粕は自分の役目を果たしながらも見惚れた。
 今のスタンスもあの教官の直属の部下であるが、けれども自分がライダーを目指していたのもあって、やはりライダーとして彼女に仕えたかった。
 ――忘れていたかったのに………。
 今の役割を全うすることを時間をかけて割り切ったのに、彼女は存在とその実力で、その割り切りをあっさりと元に戻す。
 しかし、そうはもう、なれない。
 今のチームはもう完成されている。だから甘粕の入る隙はない。
 夢見ていても仕方ないのに、それでも見てしまう。
 ふう、と甘粕は息をついて、視線を手のひらから前方へ戻した。そして視界に入ってきた人物に、軽く息を飲んだ。
「教官……」
 呟く声は、距離もまだ遠かったのに、彼女は顔を上げた。そして甘粕のいる方向へ目を向けた。視線が絡み合う。それは一瞬のことで、アキラはすぐに相好を崩した。
「甘粕くん」
 命令の時はもっと毅然とした声は、今は涼やかな凛とした響きで甘粕を呼ぶ。それに甘粕も笑みで応じてから口を開いた。
「探しましたよ、教官。――そして危ないです」
 彼女が立っているのは、崖の上に当たる場所だった。崖といっても、施設内なのでそんなに高さはなく、そこから落ちても死ぬようなことはない。しかし崖は崖である。用心するに越したことはない。
 アキラは少し首をすくめた。
「ごめんなさい」
 そう云いながらも動こうとしない。
 意外に強情なのだ。
 着任して、初陣を経て、それが少しわかりかけた。
 ――だからこそ、彼女に命を預けたい。
 甘粕がアキラのいるところまで歩を進めて、並んだ。この場所からの眺めを思い出せるくらいには知っている。施設内で知らないところはほとんどない。そのくらい、彼女が来るまでの日々は平穏だった。
 想像していた通りの風景が目の前に広がる。それを確認して、甘粕はアキラを見て、問うた。彼女は甘粕の見慣れた景色に目を向けている。
「それで、何をしていらしたんですか」
 吹かれる風に乱れる髪を押さえながら、アキラはこちらを向いた。そして答える。
「危機感の確認」
 しかし答えたその表情はとても怖がっているように見えない。
「確認、ですか?」
 甘粕の言葉に、アキラはとろけるような笑顔で頷いた。
「私は前線に出ない。けれども、ライダーたちは前線にいて、戦っている。私は常に最善を尽くしているけど、こうやってたまに彼らのいる場所に近いところにいないと、感覚がつかめなくて」
 これでも、まだまだなんだけどね、と小さくつぶやいて、崖の端に寄って、下を眺める。
「本当に危ないですよ」
 アキラの言葉を聞いた後では、まったく効果はない言葉を甘粕は反射的に云った。実際アキラはまた動かなかった。もっと深く低い姿勢で、海を覗き込みながらアキラが答える。
「サブスタンスと融合した状態の彼らがどういう心境になるのか……、これはシミュレーションするしかない。怖いとあまり感じていないのも知っている。けれども、私は、こういう危険な状況にある彼らの命を預かっている―――そういう自覚を忘れないでいたいの」
 ――本当に、彼らのように、彼女のライダーになってしまいたかった……。
 甘粕は心の底から思った。
「僕には、傷がない」
 心の中のつぶやきは、言葉に乗ってしまった。
「え?」
 アキラが驚いたように目を見開くのに気付かずに、甘粕は思っていることを言葉にしてしまう。
「僕はレゾナンス出来ないんです――選ばれなかったから………」
 ――それが、ただただ悔しい。
 なれないとわかった時に抱いた悔しさだった。割り切ったつもりだったのに、その時の感情、そのままにあざやかによみがえってしまうなんて。
 甘粕はうつむき、くちびるを噛んだ。そうしないといろいろこみ上げてきそうだった。
 崖の下の波音が妙に耳につく。ざわめく自分の心のようで、今日はその音がやけに耳触りだ。
「じゃあ、改めて、私が選ぶわ」
 アキラの言葉に、甘粕はハッとしたように彼女を見つめる。アキラの瞳は迷いもなく、まっすぐだった。
「え?」
 その時、甘粕は自分がずっと心に抱いていたものを口にしていたことに気付いた。恥ずかしくなって、顔を手で押さえる。それに伴って、頬が少し熱くなるのを感じた。
「すみません、失言でした」
 アキラから目をそらしつつ、云う。しかしアキラの瞳は、それすら許さない力を持っていた。その力のままの口調でするどく云う。
「でも本心でしょ?」
 逃れることを許さない瞳だった。甘粕は目をそらすのすら許されず、中途半端な姿勢でアキラと向き合う。
「――っ!」
 ――これが、僕を含めた皆を魅了する強さ………。
 細い身体のどこにエネルギーのもとがあるのか、いまだにわからない。けれどもそれは間違いなく、自分の心の奥を揺らす。こんな強い核を持つ人にかなうはずはないのだ。
 アキラはにっこりと笑って、云った。
「私は、甘粕くんがいいわ。ライダーじゃないけど、あなたが適任だわ」
「……本当、ですか」
 ゆっくり姿勢を変えて、またアキラと向き直る。
「本当よ。それにライダーほどではないけれど、私と一緒にVOXに乗るあなただって、危険を伴っているの。私がどんな間違いしても、誰かが欠ける可能性を常に考えているわ――でも、誰も失わない。世界を守りたいけど、それ以上に仲間であるあなたたちを守りたい」
 ――ライダーでも、そうでなくても………。
 この人の部下でよかったと甘粕は思った。
「甘粕くん、手をこうやってくれる?」
 その言葉に促されるように、手をアキラの前で手をかざした。2人の手は、少しの距離を置いて、手のひらが合わさる形になる。少しの距離だが、アキラの手の温度を感じた。
「レゾナンスとは違うし、私に傷はいらないけど―――」
 云いながら、アキラは手の距離を縮めた。少し動かしただけで、甘粕の手に、アキラの手の温度が直接伝わった。接触に、身体の芯がしびれそうだった。
「これが、私があなたを選んだ証」
 アキラの手は小さい。こうやって、手のひらを合わせれば、それは一目瞭然だ。自分より間節一つほど違う小さな手に、自分は命を預ける。本望だ。
 きっとライダーの絆より目に見えない分、危険が少ない分、効力は弱い。
 けれどアキラが自分にそうしようとしてくれたことがうれしい。
「ありがとう、ございます」
 甘粕は、油断すればこみ上げてくる熱いものを必死にこらえて云った。
「いいえ。甘粕くんだって、私に命を預けてくれるんだから、これでいいならいくらでもするわよ」
 アキラの言葉に、甘粕は言葉を出さずに、微笑んで頷いた。
「でも、甘粕くんの手って、大きいのね」
 感心したように、手をすり合わせながら云うアキラに甘粕が答える。
「あなたが小さいんだと思いますよ」
「けどこれじゃあ、私があなたを守るんじゃなくて、守ってもらうみたい」
 つまらなさそうに云うのに、甘粕が笑みを深くする。
「守ってもらってます。そして部下として貴女を守るんです」
 答えに、アキラはそんなことを思いつきもしなかったような表情で頷き、ふわっと微笑む。それはどこかうっとりしたようなもので、甘粕の心臓の鼓動を速める。
「――それは、素敵ね」
 思わず重ねた手をそのまま指を折って、アキラと手を繋ぐようにしてしまいそうになる。
「そうでしょう」
 守られてばかりなんて、いられない。指示のおおもとは彼女でも、そのための分析データを甘粕が持っている。前線に立てない代わりに、甘粕が見つけた。自分の役割だ。
 そういう風な守り方もあるのだ。
 そう思った時、遠くでチャイムが鳴った。甘粕が現実に戻る。
「いけない。あれより早く戻るつもりだったのに」
「そうなの。じゃあ、急ぎましょう!」
 その言葉に、2人は早足で施設内に戻る。
 ふと、甘粕が先ほど2人がいたところを振り返る。
 こちらから見る分には崖と思えないが、少し高台にあり、そしてその先は落ちたら危ない。
 ――あんなところで、かりそめの契約をしたのか………。
 それはただの契約とも違う気がして、甘粕はゆるやかに口の端を上げ、アキラと一緒に早足で歩きながら、先ほどの手のひらの感触を胸に刻んだ。
 ――ライダーのようには出来ないけれど僕なりに、あなたに命を賭けます。
 まだ彼女のぬくもりが残るこの手のひらに誓って。
 end 101018up

好きサイトさんの甘粕についてのいろいろを見て、調べたらたぎってしまった。タイトルは私にしては珍しく3通りありました。響きがいいのを選択、したかと思う。またしても捏造万歳!