特権は特別でなし、(貴女が特別)


 ――不思議よね…………。
 深まる秋の中、真奈美は向かいに座る千聖を見つめる。
 教室で向かい合っていても、彼をまとう雰囲気が違う。
 たたずまいはきれいで、そして背は高く、顔はとても端正だ。落ち着いた感じが高校生の中でも浮いた空気を構成してしまうのだろうか。間近にすると、真奈美もどきりとしてしまう。もっとも真奈美の場合、それが千聖に限ったことではないが。
 しかし、そんな千聖だが、勉強は出来ないと来ている。いや、それ以上に天十郎に付き合うからではなく、問題児である。
 初めて会った時は、信じられなかった。
 千聖の幼馴染の天十郎と行動を共にしているから、問題児扱いなのだろう、と渡された資料を見ながら真奈美は最初思ったが、どうやら本当に彼自身が問題児らしい。最初に彼を見て、すぐには信じられなかった。しかしそれらは、彼らを正式に受け持つようになってから、本当だと気付く。
 かなりのマイペースなのだ。それは天十郎の上を行くといってもいい。
 けれども、基本的にはやっぱりいい子だ。今も真奈美の要望を聞くために、学校でテント暮らしをして、こうして補習に出てきている。やり過ぎの感がなきにしもあらずだが、落ち着いて考えれば、彼なりの折衷案なのだろう。行動の後を考えれば、今も頭が痛いのだが。
「――俺の顔になにかついてるか?」
 静かな千聖の言葉に、真奈美は我に返る。視線を千聖に合わせれば、彼は机の上の教科書と向かい合っている。
「えっ、あっ、ううん、ついてないよ」
 あわてたような真奈美の言葉に、千聖は首を傾げつつ、真奈美を見る。ひた、とまっすぐに据えられた視線は静かながらにとても強い。
「では、なにか云いたいことがあるのか?」
「―――う、」
 まさか見惚れてましたとは云いづらい。
 自分の行動のなにが、千聖の琴線に触れたのかわからない。テント暮らしを始めたとはいえ、補習はよくさぼっていた千聖が今はこうして真面目に補習を受けてくれるようになった。
 なにか、そういう瞬間があった気がした。
 けれど真奈美にはわからない。何度も千聖とのやりとりを反芻してもだ。
 でももう思い出せないから、と真奈美は少しだけ千聖に申し訳ない気持ちになりながらも、補習に出てきてくれることに喜んでいた。
 しかし、それと比例して、一つ大きな懸案があった。
『教師っていう特権振りかざして!』
 一つや二つではない強い言葉は真奈美の胸に鮮やかによみがえる。
 ClassZのA4と呼ばれる特に目立つ問題児たち、千聖はそのメンバーに名を連ねる。マイペース故、天十郎以外誰にも従わない印象の彼が、担任教師である自分に従ったのだ。それは特に女子に反発を抱かせるのに十分だった。
 新任ということもあって、話しやすいというよりは気やすい印象もあるのか、最近は女生徒たちの間を通り抜ける何回かに一回は、いろいろ言葉をぶつけられる。直接ではなく、女生徒たちの会話に混ざってというたちの悪さだ。
 ――これだけかっこいいしなー。
 容姿が整っていて、さらに高校三年とはいえ、かなり大人びた印象のマイペースな男子が、新任の女教師には従うというのは、確かに印象は悪い。
 ――けれども、なんにも期待には応えてないんだけど…………。
 時々囁かれる色仕掛けなんてしていないし、2人の時はこのように真面目にお勉強なのだ。せいぜい世間話のように料理の話をするくらいだ。
 云われることの内容に事実が全くと云っていいくらい伴っていないのが、少し理不尽だ。
「千聖くんて、人気あるんだなぁって思って」
 千聖の視線に耐えきれず、かといって見惚れてた、とか千聖といるせいでいろいろ云われた、とは云えず、さしさわりのないことを口にしたつもりだが、言葉に出すと少し恥ずかしい。
 云われた本人はその発言に眉を上げただけだった。
「そんなことはない」
「そう? 最近特に、千聖くん人気あるなって―――八雲くんたちと違って、隠れファンが多いんだよ」
 返す言葉に云い過ぎたことに真奈美は気付いた。千聖がスルーしてくれることを望んだが、それはこういう時には叶わない。
 静かに真奈美を見つめた瞳が、微妙に色が変わる。それは怒りをともしたように見えた。どういえばそれが覆るのかわからないので、なにも云えず真奈美も視線を返すだけだ。千聖の口が開く。
「その、隠れファンとやらが、お前になにか云ったのか」
 やはり察せられてしまった。真奈美は心の中で失言した自分を責める。
「あ、ううん。そういうわけじゃないの。変な話題出しちゃった……………ごめん」
「なにを云われた」
 ――うう、なんでこんなに迫力あるのよー。
 たたずまいが落ち着いているだけに、逆に有無を云わさない力があった。
「…………………………………」
 けれど真奈美は最後の抵抗のように、くちびるをきゅっと引き結ぶ。そして譲らない気持ちで、千聖を見据える。
 その視線を受けて、千聖は一瞬たじろいだような表情を見せた。それは本当にわずかのことで、千聖は大きくため息をついて、真奈美を見返した。
「……………お前自身のことなら、俺はなにも云わない。だが、想像するに、これは俺にも関わることだ。――さて、どうすればお前はおとなしく口を割るか。…………早く云った方が得策だ」
 千聖は立ち上がって、真奈美に近付いた。
 真奈美は自分の頭の付近に両腕を組んで、身構える。なんといっても千聖は強い。初めて会った時にそれは思い切り痛感している。
「えっ、なにっ!? ぼ、暴力反対ー!」
「失礼だな――女に暴力は振るわんぞ。特に、お前には振るうつもりはない」
 そういうことを聞いた覚えがある。そういう潔さも、高校生には見えないのだ、と確かその時思った。
 しかし今はいろんなことが重なったこの状況にすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていたので、それを聞いた時、間抜けにもぽかんとしてしまった。
「―――へ? うわっ!」
 その表情で、無意識に閉じていた目を開く。するとそこには信じられないくらい近い千聖の顔があった。
「ち、―――千聖、くん」
「お前に口を割らせる方法など、力を使わなくともいくらでもある」
 云いながら、その距離をさらに縮める。
 さすがの真奈美も鼓動が跳ねる。同時に、その行動に考えていたことを問う。
「ちっ、千聖くん…………、私を失業させる気なの…………?」
 それに、真奈美を見る目に、ふっと笑みを浮かべて、千聖は云った。
「大丈夫だ。卒業したら永久就職先を紹介する」
 しれっといつもの口調で云った言葉に、真奈美が目を剥いた。
「えええええええぇっ!!!」
 ――永久就職って云った! それって、それって……………!
 心臓が壊れそうなほどの早鐘を打つ。叫んだだけでどうにかなるものではない。
「耳元で叫ぶな、」
 千聖の言葉に、真奈美は小さく「ごめんなさい」と呟く。
「だってだって、永久就職なんて、千聖くんの口から出るなんて思わなくて。しかもそんなタイミングで、冗談にしては悪質過ぎる」
 きっぱり云った言葉に、千聖は眉を寄せる。
「冗談のつもりはない」
「…………う。なら、どんなつもり?」
 まっすぐな問いに、今度は千歳がう、っとつまる。しかしすぐに視線を戻され云われた。
「――お前が口を早く割れば教えてやる」
 どんどん千聖の顔が迫ってくる。端正な顔が、互いの息も触れそうなほど、近い。
 ――逃げられない。
 そう思いながら、真奈美は呟いた。
「…………あの、それ以前に、もうそろそろ私、淫行で捕まるから。………あーあ、千聖くんの卒業式に出たかったな」
 その時、千聖の動きが止まった。
「お前は…………そんなこと云われたら、なにも出来んだろうが」
「しなくていいです!」
 真奈美の言葉に、一瞬目を丸くして、千聖は吹き出した。
「お前はまっこと面白いな………―――けど、これは俺も譲れん。ここでお前が捕まるというなら、場所を変えて吐かせてもいいな」
 云いながら身を屈めて、真奈美の足を背に手を入れる。
「えっ、ち、千聖くんっ……………!! って、きゃっ!」
 戸惑う隙も与えず、千聖はひょいっと真奈美を抱き上げた。
「舌を噛む。口は開くな。――さて、どこに移動するか」
 千聖にお姫様抱っこされているこの姿さえ人に見られたら、真奈美の首は吹っ飛ぶだろう。
 真奈美は叫ぶように云った。
「だ、ダメ〜〜〜〜っ! もう云います、云います!」
「…………手こずらせおって」
 まるで大人同士のやりとりで、それに、少し恋人同士の痴話喧嘩にも思えて、真奈美は恥ずかしくなる。抱き上げられて、また近くなった顔の距離から逃れるように、顔をうつむけながら、拗ねたように云う。
「―――本当は云いたくなかったわ」
 千聖には約束の大事さを教えたい。
 そんなことは知っているだろうけど、そういう基本的なことはきちんとしなくてはならない――ClassZの生徒と接して、一番に思ったこと。最低限のルールを持って話をする。特にA4のメンバーは見た目や頭脳よりも、そういうのに慣れている気がする。自分がきちんと一人の人間と対している自覚を持つ。
 夢を追いかけて、まだ手探り中の自分はその目標になった教師の後ろ姿を何度も反芻して、道を選んでいた。それが正しいかどうかなんてまだわからないけれど、後悔は少ないやり方だ。
「でも、約束は守るだろう?」
「それは………破ったら、私は私でなくなるもの」
 嘘のつかない人間はいない。約束もすべて守れない時もある。だけどもその数を減らすことは出来る。
 ――しかたない。
 真奈美は大きくため息をついた。そして口を開こうとするが、体勢が戻ってないことに気付く。
「あの…………千聖くん、」
 状況に気付けば、本当のことを話さなくてはならない気の重さが嘘のように、照れがやってくる。とにかく千聖の顔が見れない。
「なんだ」
「…………この体勢じゃ、千聖くんも話を聞きづらいんじゃない?」
 真奈美はまだ千聖に抱き上げられたままだった。身体を支えるために、反射的に千聖の身体に回した腕を縮めて、ずっとそこに顔を隠すようにしていた。
とにかく早く解放してほしかった。
「そんなことはない。離さないとずっとこのままだ――いいから早く教えろ」
 云い出したらきかないのが、千聖だ。
 譲れないところならそこは真奈美も真っ向から戦うのだが、そういうわけではないので、真奈美は千聖の方を向き、なるべく目を見ないように口を開く。さすがにこの距離は刺激的だ。
「特権………」
 けれども、それ以上に云われたことを、千聖に云うのが、ためらわれた。千聖の淡々としつつも真奈美には、なんとか自分の口を割らせようとしているのを知っていたから、覚悟をしたのだが、やはり良くないと思った。だからか、単語を発しただけで口を閉ざしてしまった。
 そのまま黙ってしまった真奈美に、千聖はしばらく声をかけなかった。
 真奈美は千聖に抱えられている状況も忘れて、真奈美に言葉をぶつけた生徒のことを考える。
 ――しかたない、よね。その気持ち、わかるから………。
 A4は行動はもちろんだが、外見もとても目を引く。個性派揃いで、リーダー格の天十郎にいたっては、女の子誰かれ構わず「嫁になれ!」と云いよっては撃沈している有様だが、それでも人気は高い。
 皆女子に優しいが、その中でも一線を画しているのは千聖だ。割と淡々としか女子に接しないし、その機会は他のメンバーに比べればかなり少ない。
 そんなかっこいい男子に、女教師がそばで補習しているというのは、やはり女子たちにはよく映らないのだろう。
 気持ちがわかってしまうだけに、ギリギリのところで言葉がつまった。
 真奈美は顔を上げて、千聖を見た。守れない、と云おうとして、その口は真奈美を見つめる瞳に絡め取られて、動かなかった。
「―――俺のそばにいるのは、特権、と云われたのか」
 ――気付かれた!
 単語しか云ってないのに、そこから千聖は真奈美が云おうとして云えなかったことを察してしまったらしい。
 そうだ、千聖は意外性の男だった。
 時折とんちんかんな間違いをするけれども、時々する指摘はあまりにも真実を突いていた。
「〜〜〜〜〜〜っ!」
 ――最初から謝ってしまえば、よかった………………。
 後悔はもう遅い。
「…………云いたくなかったのに、すまなかったな」
 ぽん、と背中を支えていた手が、真奈美の頭を軽く叩いて撫でると、真奈美はようやく地面に下ろされた。自分が何か大切なもののようになって、扱われた感じがして、真奈美は真っ赤になった。
「―――………あ、ありがと」
 なにか云わなくては、と思って紡いだ言葉に、千聖は目を丸くして、それから微笑んだ。
 ――ああ、確かに、これは特権って云われるかも……………。
 それにしては教師である自分には特権というより、リスクの高いことばかりであるが。
「さて、俺の隠れファンの件だが、お前はなにも気にする必要はない」
 千聖の言葉に、真奈美はきょとんとする。
「―――え?」
「云わせておけ。実害が及ぶようなら、俺もその時は黙っているつもりはないが」
 もちろん云われたことに関しては、別に直接何かされたわけではないから、真奈美も放置することにしていた。しかし千聖はその先を見ていた。少しの言葉だけでそこまで考えるのに、真奈美は少し驚き、当惑した。
「あの、でも………」
 珍しく千聖はにんまりと笑んだ。
「特権を活かせたのはお前だからだ。逆に胸を張っていればいいだろう」
 発言は千聖自身が問題児ということを如実に示していて、真奈美は脱力する。
「…………そ、それは光栄………とも、あんまり云いたくない感じね」
 認めてくれたのはうれしいけれど、こうも公然と真奈美以外は排除してきたのだと云われてもなんだか逆にやるせない。
「そうか? 俺の周りにはいろんな教師がいた。若い女教師もいたが、全然骨がなかったな。その分お前はすごい」
「い、いえ、あの、そこで褒められても、全然うれしくないんですけど…………」
「素直に褒められておけ」
「・…………いえ、それなら、――千聖くん、そこに座ってくれる?」
「ん?」
 心なしか機嫌が良さそうな千聖を座らせて、真奈美も先ほど座っていたところに腰かけながら、云い放った。
「補習の続きをしましょう!」
 さすがの千聖も目を丸くした。
「はぁ? どうしてそうなるっ?」
「だって骨があるなんて云われたら、そういうところを見せないといけないでしょう。だったら、途中になった分を補習しないと」
 真面目に説明する真奈美の言葉に、千聖が噴き出した。
「…………まっこと、敵わない」
 机に突っ伏した千聖に、真奈美はにっこり笑いかける。
「それは褒められておくわ」
 云いながら、テキストを開くよう指示するのにもう千聖は逆らわなかった。

 時間いっぱいまでみっちり補習を終える。
「はい、お疲れさま。また明日も頑張りましょうね」
真奈美の言葉と同時に、ちょうど下校のチャイムが鳴った。
「………永久就職先、聞かなくてもよかったのか」
 ぼそりと呟いた千聖の言葉は、チャイムに乗って真奈美の耳に届かなかった。
「―――え?」
「なんでもない。また明日な」
 そう返して立ち上がり、ぽん、と真奈美の頭に触れて撫でると、千聖は教室を出た。
「もうっ、子供扱いしてるのかしらっ!?」
 真奈美は拗ねた口調で云いながら、片付けをする。
 ――でも、子供みたいに扱われちゃったからなぁ…………。
 あんなに軽々と持ち上げられてしまった。
 ――はーあ、心臓に悪い『特権』だわ・………。
 認めてくれたことも嬉しいけれども、あんなに嫌がっていたのに、次の約束をくれるようになった。
 それだけで充分だ。
「また明日、ね」
 聞く相手ももういないけれど、真奈美はそっと呟いて、教室を出た。

 end





090904up
 同じテーマで他のキャラも書くんじゃないかな…………
しかし予想外の話の進み方に、またも長さも予想外になってしまった…………
もう、どうしてくれよう。