lullaby

 貴女の歌は、優しく響かない。
 けれど、歌う心境を考えるだけで幸せになれる……………。

 かたわらにいた熊たちが騒ぎ始めたのに、上條は顔を上げた。
「おや………」
 騒ぎの原因はすぐにわかるが、気付いたと同時におさまった。それが少しさみしい。
 ――北森先生、歌っちゃったんですね………。
 鼻歌でさえ、兵器と恐れられる歌声の持ち主は、そうはとても見えないほど可憐な容姿の持ち主だった。
 さすがに真奈美を気に入っている熊たちも、耳がいいせいかそれだけは許せないらしい。しかしそれは真奈美を慕う者たちのように、抗議をするわけではない。真奈美も自分が音痴(?)なのは知っているから、歌う時間は短い。だからそばにいない時はワーワー仲間内で騒ぐだけで、そばにいる時は懸命に耐えている。
 ――いつも思うんですが、献身的ですよね………。
 それは今熊たちの主の上條に対しても献身的だと云える。
 風変わりな熊たちは、いろいろ調べるのに便利だった。もともとの知性も高かったのに驚いたが、別に気持ち悪がらなかったのが熊たちの心に響いたらしい。そのまま拾って育てた恩を返そうと頑張って働いてくれている。
 この熊たちの世界はなんとなく人間の世界に似ているような気がする。動物とはもっと本能的でいいと思うのだが、人間と同じように感情が備わっているように感じる。
 ――ちょっと不思議な熊たちですからね…………。
 それはそれでいいのではないかと上條は思う。
 そういう気持ちで、真奈美の歌もとらえているところがある。もっとも、一番至近距離で聞いた時はやはり兵器か、と思ってしまったのだが。
 ドンドン!
 その時、激しいノックの音が響いて、上條は反射的に足早に扉へ向かった。
「どうしましたか?」
 云いながら、戸を開けると、そこには先ほどの歌声の持ち主がいた。しかも彼女だけではなかった。と、いうよりは彼女の後ろにぐったりした生徒がいた。
 真奈美はまっすぐに上條を見つめ、叫ぶように云った。
「すみません! 私が歌っちゃったせいで、天十郎くんが倒れてしまったんです」
 その言葉に状況を把握した上條は必死な表情で真奈美が背負っている成宮へ手を伸べた。
「わかりました。成宮くんを私の方へ。重かったでしょう、代わります」
 云いながら、少しずつ真奈美から成宮の身体を引き取っていく。上條よりも背は低いがスポーツが得意な少年の身体は意識を失っているだけにかなりの重量だ。
 それでも引きずるように引っ張ってきた真奈美の根性に敬服する。
「すみません!」
 完全に成宮の重さがなくなった真奈美が深く頭を下げた。そうして上條の代わりに戸を閉めたり、成宮を寝かせるために移動したベッドまでカーテンを開けたり、掛け布団をずらしたり、上條の手助けをした。
「ありがとうございました」
 成宮を寝かしつけると、真奈美は先ほどよりも深々と頭を下げた。
「私は保健室の主ですよ。これくらい当然です」
 上條は静かに笑う。そうして、真奈美の頬に手を触れた。
「ひどい汗だ。成宮くんをここまで運んでくるのは大変だったでしょう?」
「…………でも、私が天十郎くんをこんな目に遭わせてしまったんで………………あの時、天十郎くんのテストの点数が良くて、ついうれしくなっちゃってあんなことになってしまったんです」
 やはり、と上條は思う。
 真奈美の歌が無意識で出る時、それはうれしいことがあった時に多い。彼女は自分の歌の破壊力というよりも、音痴だと知っているので、意識して歌うことはない。
「成宮くんの成績が上がったことはいいことです。今まで頑張っていたのですから、喜ぶのは無理ありません。北森先生が成宮くんを殴ったわけではなし、気にしない方がいいですよ」
 上條の言葉に真奈美はほっとしたように微笑んだ。
「先生は優しすぎます」
「おや、そんなことはないですよ」
「いいえ。いっつもいっつも、励ましてくださるんですから。っていうか、上條先生は私を甘やかしすぎます」
 強い抗議に上條はこれまでのことを思い返し、首をひねる。
 慰めたりはするが、優しく甘やかした覚えはない。今日みたいに真奈美の話が彼女の非を感じなかったから、そう云っただけだ。
「そんなつもりはないですけど…………それはおいといて、北森先生、顔色が悪いですよ」
 汗もなかなか引かない。もう一度真奈美の頬に触れる。
「え、そうですか? 昨日、徹夜でプリント作っちゃったから………」
 云いながら、彼女の身体がぐらり、と傾いた。上條はとっさに支える。
「それで成宮くんを運んだんですか! せめて私を呼んでくだされば良かったのに!」
 真奈美の顔を見ながら云うのに、真奈美はへらり、と笑うだけだ。
「珍しい…………上條先生に、怒られました…………」
 云って、目を閉じる。上條はあわてたが、すぐに寝息が聞こえてきて、安堵する。
 全身を上條に預けるようにして眠る真奈美の状態がわかったので、バランスをとりながら抱え上げる。そして成宮と違うベッドに運んで下ろした。徹夜は今日だけでないのだろう、その間真奈美はぴくりとも動かなかった。
 二人を寝かしつけたので、身体の痛みを少し感じながらいつもいる机に向かう。
 放課後の時間は部活動の生徒が駆け込んでくることも多いが、割と静かだ。
 上條の仕事は養護教諭の仕事だけでないから、放課後は割と遅くまでいる。非公式のようで、公式の仕事だ。それが珍しいらしく、在室していることをひどくありがたがられる。
 ――今くらいの方が、仕事がはかどるんですけどね。
 そして人が入ってきたことで、書類を別のものに変えて、また仕事を再開する。成宮のは真奈美の歌を聞いたことによるショックの失神、真奈美は睡眠不足だから、寝かせておけば大丈夫だ。
 それからどのくらいの時間が経ったろうか。
「あれ、ここどこだ・………?」
 ぼんやりとした声は、成宮がいる方から聞こえた。上條は書類を見えないように伏せて、カーテンを開ける。まだぼんやりした顔が、こちらを見る。
「起きましたか、成宮くん。君は北森先生の歌を聴いて、倒れたそうです」
「あー………………そうか、最近、勉強やっていつもより寝てなかったから、あいつと話してる時、なんか変な音が聞こえたなぁーってところで、記憶切れてんな。そうか、あれ、歌か…………」
 げんなりした様子で、ようやく状況を把握したようだ。
「んで、あいつは?」
「成宮くん、北森先生は教師なんですから、生徒である君があいつなんて呼んではいけません。彼女は、隣のベッドで寝ています」
「え………………?」
 成宮の瞳が驚きに見開かれる。反応は予想済みだったので、上條は淡々と云う。
「君をここまで運んできた後、徹夜したせいで体力がなくなっていたのでしょう、眠ってしまいました」
「そうか………じゃ、あいつが起きるの待ってる」
「いいえ。目が覚めたのなら帰りなさい。北森先生には私がついてますから」
「でも―――!」
「責任を感じているなら、もっと勉強なさい。その方が先生も喜ぶはずです」
「―――ぐっ!」
 やんわりと云われた言葉に、成宮は虚を突かれた表情を浮かべ、しばらく逡巡してから頷いて、立ち上がった。
「わかった。……………あいつを、出来るなら送ってやってくれ」
「云われなくてもそうするつもりですから安心なさい」
 上條の言葉に「絶対だかんな!」と云い捨てて、成宮は保健室を出て云った。その背中を見送って、上條は真奈美の眠るベッドをのぞいた。
 まだぐっすりと眠り込んでいる。その様子を見て、もといた机に戻ればいいのに、つい枕元に向かってしまった。
 ――私が、帰りたいと思う頃までには目を覚ましてくれるといいんですけど。
 きっと帰ってからもまだ仕事をするに違いないだろうから、せめてここで気が済むまで眠らせてあげたかった。
 ――汗も引いたみたいですね。
 額の髪をかき上げて、単に寝ているだけだと確認する。そうした確認作業だけのつもりが手が無意識に真奈美の髪を何度も撫でる。
 ――いつも頑張ってますね。
 だからこそ成宮の成績アップがうれしくて歌ってしまったのだろう。わかっているから責める気にまったくならない。
 ――そういう貴女が……………。
 思いかけて、はっとしたように上條は口をおさえた。
 ――駄目ですね。まだ私は甘い。…………私は貴女には歌いませんから。
 眠りが深くなるように祈りを込めた歌なんて、歌わない。彼女を見つめていると心の中がふわふわとあたたかくなっても、歌わない。
 ――たとえ、貴女が望んでも。
 そう心の中できっぱり決めて、髪を撫でる手も離して、上條は自分の机に戻った。
 無邪気な寝顔は脳に、髪を撫でた手は感触を、しばらく忘れてくれなかった。
 end





 090925up
なんとなくずっとイメージにあった上條先生の話です
シナリオをやり直して細かい所を修正したら
なんかイメージがかけらしか残っていなかったような気が
しかし、うちの真奈美ちゃんはよく男性の前で意識を失いますな
嫁入り前なのに!