真夜中の枕 ――たまに、あるんだよな…………。 那智は、小さくため息をついた。 視界は暗い。しかし長いこと見つめていたせいで、うっすらと室内が見え始めてきている。 今の生活になって、那智はかなり安定していた。いやのその前から、すっきりとさせてもらったので、こういうことは目に見えて減ってはいた。 ――でも、完全になくなるわけじゃないんだよなー。 もっとこれから年を経ていって、さらに生活環境が変わっていけば、また違う風になるかもしれない。けれども、原因のもとを断ってもらってからの、環境の変化はまだ那智の中になにかを残していた。 一緒にいるようになった人に習って、生活が自然正しくなった。時々勉強で夜遅くなることもあるが、それもごくたまにだ。 それでも、時折、夜中に目を覚ます。 もう一度目を閉じれるとは思えないほど、目が覚めた瞬間に意識がはっきりとしている。 夜になればなるほど、眠れなかった頃のように。 頃、なんて生易しいものではなかった。自己とその周囲の立場に気付いて頃からのことだ。相当に根深い。まだ幼い頃はその対策にいろいろ思考してなんとか眠れていたが、身体が成長し、体力がついてきてからは思考も張り巡らしきって慣れてしまい、どうにももてあましていた。だからといって、やることはないし、思い浮かぶやることは自ら封じていた。 いつか、思い切って外に出てみた。夜の空気は別に那智に何の感慨ももたらすことなく、初めはただぶらぶらしていた。それでも眠れなかったが、この夜の外出が、那智のなにかに火をつけた。 どうすれば親や慧にもばれないように外に出るか、そして帰って来れるか―――。 そんな策を巡らしつつ、那智の外出はどんどんその距離を伸ばしていき、繁華街にまで赴いた。 そこは那智にとって、もてあましたものを解消するのにちょうどいい場所だった。それでもすっきりとまでいかなかかったが、以前よりはマシだった。 やがて那智にとって、転機がやってくる。 高校三年時に、赴任してきた落ちこぼれZ組の新任教師だ。彼女は、よりによって、Z組の特に目立つA4たちの補習の補佐に、慧ではなく那智を指名した。それに特に思わなかった。慧は出来はいいが生真面目で、そして不出来な奴らで特にやる気もないのに目立ったことばかりをするA4を毛嫌いしていた。自分も彼らを気に入っていなかったが、慧がその責を負うよりはいい。そう思って軽く引き受けた。 ――あれは、間違いだったのか、正しかったのか。 那智は今でもそれを考える。自分を隠しながらの生活から解放されて、遊びではなく好きになれる人も手に入れて、だけども、あの選択は合っていたのかを考えてしまう。 よかったのだ、と思う。 しかしあまりにもあっさりわずかの間で那智の物心ついた時からの荷物を、根本である父からすっかり塗り替えられてしまったので、まだ戸惑いはある。 ――そう、こうやって、夜、目が覚めてしまうように。 慣れないでいるのだ。 すべてこともなし、というほど楽観的な生活でもないが、かなり楽になってしまった。 ――あーあ、困るなぁ……………。 「…………ん、那智くん?」 不意に耳に届いた声に、那智は声の方に目を向ける。 那智のすぐそばに、気持ち良さそうな表情で眠る顔が暗闇に慣れた視界でぼんやりと確認出来た。 この生活になってから、何度かの夜の目覚めだが、このすぐそばで眠る大切な人の眠りが相当深いのを那智は知っている。気を失わせてしまうことはあるが、その時の那智も彼女の後を追うようにかなり深く眠ってしまっている。そういうことを一時期毎日繰り返して、その時は寝不足と体力を消耗させたせいで彼女が目に見えてやつれたので、那智もその回数を仕方なく減らした。 荷物を一気に軽くした張本人だ。 ――おれの夢でも見てんのかな? ちょっと眉を寄せて、難しい表情をしている。那智の普段見せていないところを見せた時に、よくそんな表情をしていた。しかし彼女は逃げることを愚かなほどにしなかった。そして那智が抱えていたものを一気に溶かしてしまったのだ。 今を思えば、彼女がZ組の担任だったのは適任だったかもしれない。 実際那智の補佐もあったが、彼女自身のそのまっすぐな性格もZ組の信頼を得て、Z組は全員無事に卒業を果たした。 ――あーあ、おれ、こんな女に捕まっちゃって………。 けれどもこの先環境が変わろうとも手放す気がないのは不思議だ。 ちょん、と彼女の頬をつつく。 「うーん、那智くん・…………悪さ、しないで」 寝言だろう。 彼女はすぐに寝息を立ててしまったから、そう思う。しかし発言は那智の目を丸くさせ、そして笑わせた。声なく笑って、それからそっと彼女の身体に腕を回す。自分とは違う体温が混じり合う感覚に、那智は満足そうに微笑んだ。 「今日はしないよ」 声を発せず、那智は彼女に囁いた。 明日は週の始まりだ。 土日は休みで、その間に生徒たちがどう変わっているのかがすごく不安らしくて、すごくナーバスになっている。今はZ組ほど個性的なクラスではないが、それでも気にかかるのか変わらないらしい。だから土曜日に存分に彼女を味わっているので、日曜の夜は我慢している。 でも、もう一度抱きしめ直すのだけは許してほしい。 ――眠れない夜に、彼女のぬくもり。 それが特効薬だと知ったのは、こうなって初めからだった。 いつも彼女は嫌がるが、一緒にベッドに入る時は抱き枕みたいに抱きしめて眠る。それはいつの間にか解放されている時もあるし、朝までがっちりだったりもする。ただ、夜目が覚めてしまう時は全部彼女と距離がある時だ。 ――お前だけだ。 新しい環境でも那智は女性たちの注目を集めているが、那智の心を動かすのは、彼女独りだ。そして多分、こんな風に体温を感じるだけで安心するのも、彼女だけだ。 今まで行為の後にこんな風になることなんてなかったからわからないし、もう他の誰かで試す気なんかない。 那智に横顔だけ向けている彼女の二の腕のあたりに那智は顔を埋めて、またも声に出さずに囁いた。 「――愛してる」 触れた部分から伝わるぬくもりに、幸せを感じながら、那智は眠りに落ちた。 End |
090719up ええっと、なにエンドでしたっけ? 同居エンド(勝手に名前をつけない!)の話です。 |