特権を振りかざせ


「ヨメが欲し〜」
 机で問題を解きながら、天十郎がぼやく。それに、向かいに座る真奈美は苦笑する。そしてためいきをつく。
「もう10分に一回よ、天十郎くん。――今日は特に集中できてないわね。どうしたの?」
 困った顔が天十郎に向けられる時、気遣わしげな表情に変わり、それはいつも優しい。それにうっ、と気まずい思いをする。最初はこんな風に思わなかった。補習が中断して、話題を向けてくれたことに気を良くしていた。今も嬉しいけれど、それは自分を気にかけてくれたことに対してのうれしさだ。だが同時にいつもながらの報告をしなくてはならないことが気まずい。
 だけども、報告すると、なぜか真奈美はほっとした表情をするので、天十郎は云った。
「――今日も、ヨメが見つからなかった」
「うーん………今日も失敗したのね」 
問いに、天十郎は少し顔を上げて、それから拗ねたようにくちびるを尖らせた。
「うまくいってたら、今頃、俺はヨメと二人きりでい」
「………天十郎くんの幸せは祈りたいところだけど、補習をさぼられるのは、困るわ」
 その顔はホッとした中にも、少し哀しそうで、天十郎の胸がちくん、と痛くなる。
「うまくいってほしい、と思うけど・・………お嫁さんを見つけても補習は出てくれると嬉しいわ」
「お、おー。ヨメが止めない限りはちゃんと補習に出る。その………、その日は出れなくてもちゃんと連絡するし、翌日は絶対出るから」
 必死に云うが、真奈美はまた困り顔になる。天十郎はなぜか焦りが加速する。
「うーん……それも困るけど……、でも、天十郎くんがそこまで云ってくれるならいいかな」
「え…………」
 云って、天十郎に微笑みかけるから、逆に天十郎はほっとする半面、ちょっと困る。彼女が笑ってくれるのはうれしいが、なぜか息が上がってしまうのだ。そういう気持ちの時は、身体を動かしたくなるが、いきなり動くのも変だと思う分別がついてきたし、この場から逃げたい半面、真奈美を見ていたい気持ちもあって動けない。
 その天十郎の様子に気付かないのか、真奈美は難しい表情で真剣に説く。
「でもいつも云ってるでしょう? 廊下で誰かれ構わず求婚を叫んでもうまくいかないって」
「んなこと云ってもよぉ、チャンスはどこに眠ってるかわかんねえし、」
「それは一理あるけど、でも、やっぱりやり方を間違っている気がするわ。私が天十郎くんにあんな風にプロポーズをされても、やっぱり信じられないし、」
「〜〜〜〜〜っ!」
言葉を探して、懸命に説明するその内容に、天十郎の鼓動が跳ねる。
 ――俺が、こいつに………プロポーズっ!?
 女子と見れば、ただ一人を除いて声をかけている天十郎だが、その例外とは違う意味でドキドキした。これは、なんだろう。
「信じられない? ってぇ、どういうことでい?」
 前にもそういうことを真奈美に云われたことがある。それも含めて「俺ヨメ会」の名誉講師になってもらったのだが、ちゃんと聞いたことがなかった。天十郎はやけに気にかかり、聞いてみた。
「うーんと、天十郎くんのいつもの突撃を私が女子高生だと想定すると――クラスメイトならともかく、いや、そうでも、やっぱり天十郎くんが本当に私をお嫁さんにしたいのか、信じられないのよね」
「――へ?」
「だって、天十郎くん、いっつも女子の名前を呼ばすに『嫁に来い』ってしか云わないでしょう? 私が天十郎くんに突撃プロポーズされたら、本当に私でいいのかな、きっと私じゃなくても誰でもいいのかなって思ってしまうわ。女子はそういうのに、敏感なの。そして、欲張りだから、自分がいいって人がいいの。………自分が好きな人とか気になる人って云うのもあるけど、天十郎くんはかっこいいから、そこはがっちり本命いる女子じゃなければ割とクリア出来るかも」
 ――か、かっこいいっ!?
 あまり面と向かって云われたことがなくて、天十郎は驚く。
「ばっ、馬鹿、なに云ってんやがんでえっ」
 天十郎の反応に少し驚いたように目を丸くしつつも、真奈美は言葉を継ぐ。
「A4は美形揃いって云われてて、もちろん天十郎くんだって、その中に入っているのよ」
「んじゃあ、なんで、俺はほかの3人みたくもてねえんだよ」
 返す問いに、真奈美は曖昧に微笑んで答えた。
「押しの………強さかな」
「それならアラタや八雲だって」
 云い募る天十郎に、真奈美は困った表情で云った。
「だから、押しの強さって云ったでしょう? 天十郎くんは他の二人に比べて、強いのよ」
 というより、強すぎる、と真奈美は小さくつぶやいた。
「天十郎くん、お嫁さんになってもらうにはいろいろな方法があるけど、私、天十郎くんの話を聞いている限り、多分天十郎くん自身がそのお嫁さんになる人に、恋をして、愛して、そして結婚したいって思わないと、天十郎くんの望むようにはならない気がするの」
「………………う、でも」
「――私が云う事が決して正しいわけではない。天十郎くんの云う『チャンスはどこに眠っているかわからない』っていうのもわかる……多分答えは、天十郎くんの中にあるの」
 真剣な表情は天十郎のことをきちんと考えて云ってくれているのだとわかる。だけども、わかっても、真奈美の云う通りに出来る気がしない。
 ――これは、なんなんだろう。
 両親のように、劇的な出会いはともかく、あんな風になりたいとずっと思っていた。物心ついた時からの天十郎の習慣のようになってしまっている突撃プロポーズに、最近だんだんためらいが出てきたのも真実だ。その原因は真奈美にある。天十郎のことを考える真奈美の言葉はいつも説得力があって、それを考えるといつものように出来ない。それは何回かに一回なのだが、それでも激減している。
 黙り込む天十郎に、真奈美は気遣わしげな表情を向けると、口を開く。
「ふふ。そういえば天十郎くん、自分のことかっこいいって云われてないと思ってるけど、私、このつきっきりの補習で結構やっかまれてるのよ」
 明るい口調で云われた天十郎を慰める言葉の、その内容に天十郎は目を剥く。
「いっ!?」
「わーいいなーって云われてるの。ふふ、内緒ね」
 続けた言葉も明るいが、天十郎は真奈美にそんな気遣いをさせたことが、悔しい。
 ――自慢じゃねえだろ。
 やっかまれているということは、きついことも云われているはずだ。だけど、それをうまく隠す真奈美に、天十郎は拗ねたようにこう云うしか出来ない。それがもどかしい。
「―――――嫌がらせとかはされてねえよな」
「…………ええ、」
 真奈美は少しだけためらう様子を見せた。天十郎はすぐにバン、と机を叩いた。
「そんなこと云うのは、どこのどいつでいっ!」
「平気よ。駄目ね。自信を持ってもらうために云ったの! それ以上は聞かないで。というより、黙秘権を行使します」
「もくようび?」
 今度は真奈美の眉が上がる。
「全然違うじゃないの! 黙秘権!」
「なんだあ、それ」
 ふう、と真奈美はためいきをついた後、答える。
「わかりやすく云えば、天十郎くんには絶対教えないってこと」
「んだよ、それ」
「ふふふ。だからね、天十郎くんも、誰かれ構わずじゃなくて、せめて気になる人が出来て、学校の廊下で叫ぶんじゃなくて、人気のない所できちんと好きだって想いを伝えれば、うまくいくんじゃないかな」
「そ、そうか……?」
 真奈美の言葉に納得しかけるが、多分女子を見れば身体が勝手に動いてしまうし、きっとプロポーズもしてしまうだろう。
「気になる人はいないの?」
「うーん………」
 云われて浮かぶのは、真奈美だ。だけどそれは云ってはいけない気がした。
「――そのうち、わかるかな」
 煮え切らないあいまいな天十郎の返事に、真奈美は意味深な言葉を呟く。
 その言葉の意味を知るのはもう少し先の話になるが、それは別の話である。
 真奈美はにっこりと天十郎に笑いかけて、机の上を指で叩いて云った。
「さて、私は特権を行使しますか」
「とっくり?」
「お酒飲むんじゃないわよ、特権。ほら教師って、生徒から見たらちょっと特別な立場じゃない。その中でも、こうして特別補習しているわけだし」
 確かにA4の中でも際立って成績の悪い天十郎との補習は一対一である。云われれば特別だ。そのことに、どきり、と鼓動が跳ねる。
「オレは特別なのか?」
 思わず身を乗り出すように問うた言葉に、真奈美は素直に頷いた。
「うん、まあ、個人的にやったらえこひいきなんだけど・・……、天十郎くんは理事長にも云われていることだし、」
 つきん、と天十郎の胸が痛む。乗り出しかけた身も自然と戻ってしまうくらいには落ち込んだ。
「でも、そういうのとは別に、他の子たちより、やっぱり天十郎くんのことは気にかかっちゃうな」
「ホントかっ!?」
「うん。でもね、これはホントにひいきだから内緒ね」
 人差し指をくちびるのところに当てて、真奈美が云うのに、天十郎は大きく頷いた。
「もちろん、誰にも云わねえ! 俺とお前の秘密だ!」
 こういうことでも、共有の秘密を持つのはこそばゆくて、とてもうれしい。
 今にも云いふらしたくて仕方ないが、困らせてしまうのはわかっているので、そこはおさえる。けれど、これが秘密という甘美なので黙っていられそうだ。
「ありがとう―――さて、」
 にっこり笑って、天十郎を見る。次はどんな言葉を云うのか、天十郎はワクワクする。
「かっこいいけど、まだまだ勉強が必要な天十郎くんのために、教師特権を行使して、頑張ります」
 がくり、と肩が落ちた。
 しかし無邪気に向けられるその笑顔は強い。実際この教師は、女性だからというのも越えて、打たれ強いし、芯もしっかりしている。天十郎にとっては、先ほどのやりとりにしても、意外性の塊だ。
「――――――――お前、だけだかんな」
 ぽつり、と云った言葉に真奈美は気付かない。
 教師が生徒である天十郎に近い距離が取れるのは、それが真奈美だからだ。今までの教師は天十郎への接し方から違ったし、時には媚びへつらわれたりもした。特別扱いされていたのは天十郎の方だ。真奈美は天十郎を特別扱いというけれど、それはあくまで勉強を見る、というところでのことだ。そんな特別扱いは、普段は放置されていたので、とても珍しい。
 面倒だし、勉強は嫌だったが、真奈美が天十郎の先を心配してのことだと知り、そして真奈美の性格に触れ、どんどん抵抗出来なくなった。今はすっかり牙を抜かれた狼みたいにおとなしいものだ。それに、単純にうれしそうな表情もとても好感がもてた。
『気になる人はいないの?』
 その時に真っ先に浮かんだ顔は、目の前の人物だ。真奈美はいろんな意味で気にかかり過ぎて、そういう意味かどうかすら天十郎にはよくわからない。なんといっても、嫁は常見募集中だが、こういう風に気になる異性というのは初めてだ。
 ――気になんなら、お前だよ。
 ただそれは恋かどうかわからない。だからまだ云えない。今までみたいに「嫁になれ!」ということはためらわれる。ただでさえ、勢い込んで誰かれ構わずに云って、怒られているのだ。そういうのも含めて、云えない。だからちょっと拗ねたように、教科書に目を落とした。前よりもわかるようになった勉強を今は嫌いではない。いつか、自分が父から譲り受けるものの糧のかけらになるのもわかってきた。逃げていても仕方がない。ようやく向き合わせてくれたのは、真奈美だ。それは変わらない。
 ――お前なら、特権でもなんでも俺に振りかざせばいい。………従って、やるから。
 残りの期間は短いし、きっと云うこと聞くまでに文句は云うだろうけど、逆らうつもりはもうない。
 でも最近、こうして2人で近い距離で勉強するのに、集中するまではドキドキしてしまう天十郎なのだった。
 end





090911up
 テーマ「特権」。動きが少ない分、千より少なめ。でも、予想より多め。