時折、七夕みたいに

 今日は七夕。
 分刻みでスケジュールが入っている八雲が、その日は珍しく仕事がないということで、一緒に過ごせることになった。とはいってもまだ夏休み前で、真奈美は仕事だった。会うのは放課後である。

 前の日に予定の確認に来た八雲がくちびるを尖らせる。
「えーっ、せっかく一緒に過ごせるのに、夜しか一緒にいられないなんてひどいー」
 その表情は一年前と変わっていなくて、真奈美は微笑んで、八雲の頭を撫でる。
「仕事はなくても、八雲くんだって、学校があるでしょう? 朝から夜までびっちり。それなら夜に落ち合ったっていいじゃない」
 八雲の入学した学校は音大である。普通の大学生以上のカリキュラムに驚いたが、これももっと音楽の仕事をするためだとわかっているから、卒業を機に2人は恋人同士になったが、仕方ないと思っている。もっとも、大学に行ってもモテモテというのは、少し不安の種ではあるが。
 それに気持ち良さそうな表情を浮かべ、それからいたずらが見つかった子供のように、舌を出した。
「それはそうなんだけど、………やっぱりムードを大事にしたいじゃない?」
「それには賛成。でも、八雲くんが学校をさぼるのも、私が仕事を休むのもなしね」
「ちぇー、でも、真奈美ちゃんには敵わないから、それで異存なしですー」
 ふふ、と2人は顔を見合わせて、微笑む。
「――残業はしないで、八雲くんと落ち合うから、それで許してね」
「絶対ですよー、真奈美ちゃん」
 云いながら、八雲は立ち上がる。
 本当は泊まりたい、と云われたのだが、そうすると、明日放課後に会う約束も反故になってしまいそうな気がした。それは八雲ではなくて、真奈美が。だから断ってしまった。
「うん、八雲くんと会えるの楽しみにしてるわ」
 じゃあね、とキスをしてから、八雲は真奈美の部屋を出た。

 仕事を終えて、携帯を見ると、すでに八雲が待っているというメールが入っていた。
卒業生として、真奈美に会いに来る時はもっと大胆に現れるのだが、今日みたいに後の予定がある時はこの場所で落ち合う。八雲は在校中も有名人だったが、卒業してからはアイドルとしてさらに人気を増し、学園に来るにもひと騒動になってしまう。それでも八雲は学園へ来ることをやめない。大変だけど、八雲をあくまで普通の卒業生としても扱いたいので、真奈美はもちろん他の先生方も頑張った。校内のセキュリティがいいこともあって、騒ぎは在校生たちくらいで済んでいる。八雲があまり規則性を持たずに訪れることもあって校外の騒ぎも比較的最小限に済んだ。
 ――規則性はあるんだけど。
 それも云えない。
 八雲が訪れるのは、真奈美はもちろんだが、七瀬か斑目が来る時だからだ。
 まだ八雲が在校している時、八雲は喉を痛めた。その異常を直せるのは斑目だけで、治った今も時折定期的に診てもらっている。声を使う仕事をしている以上、予断は許さない。それがなぜかほぼ毎回学園なのは真奈美も苦笑だが、卒業生の斑目も学園に愛着があるらしいのはわかるのでなにも云わない。
 ――七瀬先生の時に来るのは――――じゃれたいからみたいだけど。
 普段の仕事で会う気もするのだが、そういう時にこんな風にじゃれあったりはしないらしい。八雲が七瀬を意識しているのも知ってるしわかるが、2人ともプロである。
 七瀬も世界的に活動するアーティストで、斑目は知っている人は知っている科学者なので、来訪は割と事前に知らされるが、公には出来ない。
 だから、八雲の突撃来校は一見規則性がないように見えるのだ。
 ――じゃれられるの、嫌みたいなのに、七瀬先生も律儀……。
 真奈美はくすり、と笑う。斑目はちゃんとした目的があるので、トゲー経由で来訪メールが来るが、七瀬はそうではないのにきちんと真奈美のところに連絡が来る。八雲にまとわりつかれて嫌そうにしているが、決して真奈美に「多智花に云うな」とは云わないあたり、あれは七瀬なりに八雲を気遣っての様子見なのだろう。
 今日はどちらも来ない。八雲も含めて、時折の来訪なのに、時々さみしいと感じる。
 その時、携帯が震えた。見ると八雲からのメールだった。メール画面を開きながら、物思いに耽った時間の長さに愕然とする。
『もうとっくに終わったでしょ、早く〜』
 見透かされたような催促メールに、真奈美は苦笑しつつ微笑みかけて、まだ人がにぎわう職員室をあわただしく出て、急いで校門へ向かう。そこを出て、少し離れた場所に八雲が立って待っていた。
「おそいー」
 開口一番拗ねた口調で云われるのに謝る。
 残業もせずに、定刻通りに出ると云ったのに、ぼうっとしていたのは自分が悪い。
「ごめんなさい」
 素直に謝ると、八雲はにこっと笑った。
「いいよ、さ、行こうか」
 云って、八雲は真奈美の手を優しくつかんで引っ張った。
「今日はどこへ行くの?」
 それに半歩先を行く八雲は真奈美を振り返って、うれしそうに云った。
「プラネタリウムだっぴょ〜ん」
 思わぬ指定場所に、真奈美は目を丸くする。
「え、八雲くんっ、そういうところって眠くなるって…………」
 激務の合間の逢瀬なので、静かなところは眠くなりやすいと聞いたことがある。真奈美もそういうところは選ばないが、大体出かける時は八雲に合わせている。
 覚えててくれたんだ、とぽそりと呟いて、八雲は破顔する。
「でーもー、今日はそういう気分なんです。寝ちゃうかもしれないから、一応真奈美ちゃんの肩は予約しとくね」
「そ、それは構わないけど…………」
「じゃ、いっくよ〜ん」
 待っている車までの短い距離を駆け抜ける。
 ――かわいい、なんて云ったら、今は怒られるけど。
 無邪気な八雲を見るのが好きだ。自分に合わせて背伸びしているのも知っているが、そうでなくても芸能人の彼氏は彼自身が気付かないところでずいぶん大人びた印象がある。アイドルしている時とこういう風に人を振り回す時はこういう感じで、だからこそちょっとホッとする。伝えると、意外に歳の差を気にする八雲は不機嫌になるので云わない。たとえ真奈美が年下であっても、八雲はこうだと思うのだが、それはたらればの話で、真奈美も自分が上なのが気になってしまうので、胸に秘めておく。
 車は順調にプラネタリウムに向かう。
 七夕ということもあって、それにちなんだ看板が下げられているのを見ながら中に入る。
「ホント〜は、貸切にしたかったんだけど、真奈美ちゃん怒るからやめたの」
中に人がちらほら見えるのを意外に思ってると、その様子を察した八雲がくちびるを尖らせて云った。
「―――怒るわよ。七夕なんてロマンチックな日によりによってプラネタリウム貸切なんて!」
「だから、してないよ。そのかわり、僕の周りはうちの人で埋めるけど、」
「それならいいよ」
 ちょっと怖いけど、とは云わない。真奈美は八雲の云ううちの人を思い出す。
 彼らは多智花組の組員だが、多智花組の跡取りというより、アイドルとしての多智花八雲の方に危険が多いのもわかっている。彼の家が極道なのを知っているのはわずかだが、利用出来るものは利用した方がいいと真奈美は思う。だから頷いた。
 こういう密閉された状況で、完全なふたりきりになれないのは知っている。そういう中で睦言を囁かれても、ただ恥ずかしがるだけの真奈美を知っている八雲はこういう時、手を繋ぐだけだ。言葉に出来ない分、その気持ちを伝えようと握りしめる手を少しずつ変えてくる。それはそれで恥ずかしいし、映画などは集中出来ないが、好きな人からだから真奈美も嬉しかった。周囲に人がいるかもな状況の睦言は慣れないのだが。
 プラネタリウムの中に入って、八雲に引っ張られるまま、席に着く。それと同時に、ざっと人影が動いた。八雲の云っているうちの人たちだろう。
 薄暗い中、ぼんやりと星が映るはずの空を見つめる。こういうところは久しぶりだ。
「…………そろそろ、始まるよ」
 八雲の囁きに頷くと、まだ真っ暗にはなっていないが、八雲は手を繋いできた。真奈美は微笑んで握り返す。
 その時、音楽が流れ始めた。
 ――そうだ、いきなり暗くならないんだ…………。
 夕空から始まるプラネタリウム。真奈美は八雲の手の温かさを感じながら、その説明に耳を傾けて、空を見つめた。

 プラネタリウムが白んでいき、終わる。
 真奈美は圧倒されていた。そしてその真奈美の肩には、八雲が規則正しい寝息を立てていた。
 ――途中までは起きていたんだけどなあ………。
 予告もされていたし、わずかな睡眠も大事だからと真奈美は八雲を起こさなかった。だけど、まだ眠る前の八雲が握っていた手は、力こそ抜けたものの離れなかった。
「ん〜〜、…………終わったぴょん?」
 人がプラネタリウムから出ていくざわめきで、八雲は目を覚ましたらしい。ぼんやりとした表情で問う。
「うん、よく眠れた?」
「肩借りたから、ものすごくぐっすり」
 にっこり笑って云われる。そして伸びをして立ち上がって、真奈美の方に手を差し出した。
「さあ、帰ろう? これから手料理食べたいな〜」
 どこへ出かけても、時間がない時をのぞき、八雲は真奈美の料理を食べたがる。作るのは好きだし、なにより八雲が喜んで食べているのを見るのは幸せを感じる。
 事前に食べたいものをリクエストしてくれるので、今日の分の下ごしらえは大体終わっている。
「用意はしているから大丈夫。じゃあ帰りましょうか」
 八雲の手をつかんで、真奈美は立ち上がった。

 外はまだ暑さが残っていた。夕空だった空はもうすっかり暗い。
 二人は手を繋いで歩いていた。
「すぐそばに車待ってるけど、ちょっと歩こうか」
 八雲の提案に、少し歩きたい気分だった真奈美は頷いた。
「真奈美ちゃんはぁ、七夕の話、どう思った?」
 星空と一緒に流れる話の中で、真奈美が一番惹かれたのは今日ということもあってか、やはり七夕の話だった。
「私、昔に聞いたきりで、よく覚えていなかったのよね………結構すごい話だった」
 七夕は神様によって引き裂かれた男女が一年に一度会う日なのは知っていたが、それには原因があって、2人が夫婦になって、仕事をかまけて始終2人で一緒にいるのが神様の逆鱗に触れたのだ。
「だよだよね〜、僕も調べてみてびっくりした。―――声が元に戻って、忙しくなって、でも真奈美ちゃんとラブラブしたいけど、仕事や学校ほっぽってはダメなんだって、思った」
 実感するような言葉に、真奈美は少しだけ首を傾げる。
「でも、八雲くん、『今日仕事休んで』って私に云ったよね?」
「そこはー、男心に仕事より僕を取ってもらいたかったの。真奈美ちゃんが休むって云ってくれたらそれはすごくうれしいけど、云われたら多分止めてた」
 真奈美ちゃんは休むって云わなかったけど、と八雲は小さく継いで笑った。真奈美も困ったように笑う。
「八雲くんだって、アイドルの仕事、大好きじゃない」
 真奈美の指摘に、今度は八雲が苦笑する。
「うん、大好き。今まで、この仕事より好きな人っていなかったけど、真奈美ちゃんが現れた。ちょっとだけ仕事投げて、会いたいくらい、真奈美ちゃんが好き。でも、真奈美ちゃんは僕をアイドルに戻してくれた人でもあるから………」
 ちょっと、というのが八雲らしい。それだけ自分が八雲の中にいることが分かってうれしい。だけども、真奈美はアイドルとして頑張る八雲ごと好きなのだ。
「八雲くんから、お仕事、取り上げる気ないよ」
「ずるいなぁ………………」
 溜息のように八雲が云う。
「余裕はないけど、好きな人の好きなもの取るのは駄目でしょう? それに私、GEのファンだし」
「ホント、ずるい」
 ぷーっと膨れて、それから吹き出した。
「ハハハッ、おかしいの。僕、真奈美ちゃんは先生だから好きっていうのもあるしな〜。真奈美せんせーは、せんせーのお仕事好きだし、僕も、歌のお仕事大好きだから、神様に怒られることはないかなっ」
「それはそうだね」
 一緒にいる時間も大切だけど、2人はそれぞれの仕事に誇りを持っている。
「僕はぁ、歌のお仕事をしている時はみんなのやっくんだけど、それ以外の時はせんせーのやっくんなんです」
 云って、八雲は真奈美を抱きしめる。そして耳元で継いだ。
「それだけは譲れない、ごめんね」
 恥ずかしいけれど、真奈美も自分の気持ちを込めて、抱きしめ返して云った。
「私も、先生やっている時は八雲くんだけの私になれないからいい」
 八雲が笑う気配がして、そっと身体が離れた。キス出来るような距離で顔をのぞきこまれる。
「――でも、でもね。だから………、一緒にいる時はうーんと甘えさせてほしいし、真奈美ちゃんも僕に甘えてほしいの」
「うん!」
 八雲の言葉に、真奈美は大きく頷いた。そして空を見上げる。
 視界には晴れた空が広がっている。
 ――織姫と彦星も会っているのかな…………。
 つないだ手に力を込めると、もっと強い力で返ってくる。
 明日になれば、またこの手は離れてしまう。互いに忙しい日々が待っている。
 ――ちょっとさみしいけど、でも。
 お互い想っているのは知っているから、大丈夫。
 end





090916up
 テーマ「七夕」。書きたいとこまで辿り着かなくて泣いた
そしてやっぱり、予想より多め。