せぇしゅんだいなま〜いとっ!

「海が見てぇ」
 補習の終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、清春が呟いた。テキストを閉じて、片付けを始めた悠里が顔を上げて、清春を見た。
 悠里の視界からは横顔しか見えない。その表情ははっきりしないけれど、どこか遠くを見ているようで、少しさみしそうだった。
「・……………もう、夏は終わったわよ」
 悠里の言葉に、清春がこちらを向く。そして目線を伏せて、呟いた。
「――別に、海が泳ぎてぇわけじゃねー」
 答えに悠里は考える。
 そうだ、初め、清春はなんと云っていただろう。そして思い出す。
「海が、見たい………の?」
「見てぇ」
「でも今から行くと、暗くなるわよ」
「けど見てぇ」
 云い張る清春に、悠里はそっと溜息をついた。
 ――うーん、今日は瞬くんも翼くんもそれぞれ仕事でもう帰っちゃったし………今の清春くんのわがままに応えられる人っていないのよね。
 たとえ彼らがいても、清春の海行きは帰れば夜遅くなるので、ぜひとも阻止したいところだが。
「行くとしたら、どうやって行くの? もう遅いし、今日は補習頑張ってくれたから、明日は補習なしでいいから、海に行って・…………」
 悠里の提案に、清春が笑ったような気がした。そしてそれはすぐに現実と気付く。
「どうやって行くって? そりゃあ、ブチャ、―――こうやって行くに決まってんダロォ!」
「え。きゃあああぁ!」
 気付けば、またいつの間にかローラーブレードを履かされ、あっという間に清春に引っ張られるままに、教室を出ていた。
「ブ〜チャ、舌噛むから黙っとけー! ヒャハハ!」
 云いながら駆けて行く後ろ姿は、さきほどとはまるで違ったいつもの清春で、悠里は少しだけ安堵しながらも叫んだ。
「こーらー、清春くーん! 止まりなさーい!」
 けれども結局清春は悠里を引っ張りながら、駆け続けた。

 ――いつもながらに思うけど、清春くんの体力ってバケモノじみているわ・………。
 自分のスピードで走っているからか、息一つ乱さずに悠里を引っ張って一時間くらい振り回され、着いた先は海だった。
「ホントに、来ちゃったのね。海・…………」
 引っ張られるだけでもかなり消耗するのは経験済みで、がっくり肩を落としながら悠里が呟く。
 まだ陽は長めだが、海は夜に包まれようとしていた。ようやくローラーブレードをはずしてもらって、悠里は数歩海に近付いた。
「そりゃあ、オレ様が『海が見たい』っつったからなあ」
 えらそうな口調で清春が答えるが、もちろんここに優雅に辿り着いたわけではない。先ほどまでのその経緯を思い出して、悠里は吹き出してしまう。
「なんだよ、ブチャ。なにがおかしいんだヨ!?」
 拗ねたように云う清春も、ますます彼らしくて、悠里は笑いが止まらない。
「すごく清春くんらしいなぁって思って」
「なにがオレ様らしいって?」
「だって『海が見たい』って云って、こんな無理やり引っ張ってくるなんて………」
 ――なにか乗り物に乗るとかすればいいのに、私を引っ張りながらここまで走ってきちゃうなんて。
 怒るより呆れるより笑ってしまう。
 多分清春に出会う前の自分だったら、怒っていただろう。けれど彼に出会って、すっかり彼に慣らされてしまった。これくらいで怒ってしまったら、身が持たない。許すわけではないし、怒る振りはするが、心ではすっかり清春を許している自分がいる。
 だからわざと投げるように云った。
「もう好きに海を堪能してちょうだい」
 帰り仕度も出来なくて、ここまで連れてこられたからいったん学校へ荷物を取りに戻らなければならないけれど、こんなのはいつもの清春の悪戯に比べれば、まだ想定内だ。
 ――気が済むまで付き合うわよ。
 覚悟を決めて、清春を見ると、思いもかけず真剣な瞳がこちらを見ていた。
 黙っていれば本当に整った顔をしている仙道に、思わず見とれた。
「ブチャが叫びたいんじゃないのか」
「え?」
 予想外の言葉に、悠里は驚く。その言葉は本当なのかはかるように清春を見るが、彼もどこか悠里を探るような表情でまっすぐに見つめる。
「なんか腹にためてるよーな顔、今日ずっとしてた」
「―――っ!!」
 見透かされたことに、悠里は驚く。
 ――意外に、見ているところは見ているのよね………。
 聖帝の小悪魔は、意外に変化に敏感だ。盗聴、盗撮は当たり前だが、そういうことをしている以上に、観察されているとは感じる。
 今もそうだ。
 これは清春なりの気遣いなのだ。そう思うと胸の中があたたかくなる。わかりにくいが、たまにあれは気を遣ったのだと思ったり、優しさだったりするのかな、と思ったりする。いたずらっ子は思い切り前面に出ているが、完全に悪い子なわけではない。
 だからといって、ここまで連れてくるのは、違う気がするが、悠里はそこは突っ込まないことにした。
 ――でも、惜しい。
「叫んでいいの?」
 そこに意地悪な響きを込めたが、清春は気付かない。
「ああ、思いっきり叫べよ」
 その言葉に後押しされたような演技で、悠里は大きく頷いて、思い切り息を吸い込んで、叫んだ。

「どーして、清春くんの成績上がらないのよー!」

 視界の隅で、清春ががっくり肩を落としたのが見えた。ちょっといい気味だ。
「ちょっ………、待てっ! ブチャ」
 焦る清春に、悠里はしれっとした態度で答える。
「清春くん、たまったものを叫べって云ってくれたじゃない」
「いや、確かにそうだけど……………、なんだそりゃ」
「昨日の夜、他の教科のテスト結果を先に渡されたのよ。補習は私の英語のほかに、全般的にやってるのに、どうして成績上がってないの?」
 そりゃすぐに上がるとは思ってないけど、もう秋なのよ、と悠里は小さく継ぐのに、清春は黙り込む。しかしすぐに反撃する。
「調子悪かったんだヨ。…………つかよぉ、オメー、失恋でもした顔して、悩みがそれなんかよ」
「『それなんか』ってなんですか! 私にとって、清春くんの成績はすごく大事なんだから、そんな風に云っちゃダメ」
 そう云ってから、悠里はふとなにか思い出したように、おずおずと聞いてみた。
「―――でももし、私が失恋してたらどうするつもりだったの?」
 自分の可能性としてはない。今は恋する余裕はまるでないのだ。
 ――それに、こんなにかっこいい男の子たちに囲まれちゃってるから、目が肥えたのもあるわね・…………。
 それは少しずつ払拭していくしかないのと、その『かっこいい男の子たち』が問題児揃いなので、彼らが卒業するまでは無理だろう。
 それに補習の準備やこの問題児を追い回すだけで、プライベートの時間まで浸食しているだろうに、どうして清春は自分が失恋したのだと思ったのだろうか。
 そう考えて、悠里は聞いてみたのだった。
 清春はふい、と顔をそらして、少ししてから口を開く。
「――オメーが失恋してたら、このままオメーとどっかに逃げてやったかな」
「どっかって、どこよ?」
「オメーが失恋忘れるくらい、どっか遠いとこだよ。無人島とか」
 清春の言葉に、悠里は微笑んで首を振った。
 悠里が失恋という勘違いから始まっているけれど、とても素敵な思いつきかもしれない。
 でも、出来ない。
 その理由は悠里にもあるが、なにより清春にあると悠里は思う。
「無人島じゃ、清春くん生きられないわ」
「サバイバルなら任せとけ! ブチャ一人くらい食わせてやるって!」
「……………そういうことじゃないのよ」
「んじゃ、なんだよ? 無人島に持ってくオモチャはオメー一人でも充分だゼ」
「――それはそうだけど、って、私はおもちゃじゃないわよ! ――と、話を戻して、清春くん、バスケは2人じゃ出来ないでしょう?」
 悠里の言葉に、清春は虚を突かれたように、目を見開いた。
「2人っていっても、私じゃ清春くんのレベルには全然追いつかない。独りでバスケの練習は出来るかも知れないけれど、やっぱり本番が出来なかったら清春くんはもてあましてしまうと思うのよ」
「んじゃ、ナナでも連れて行くかぁ?」
 拗ねた口調の提案に、悠里は眉を上げて抗議する。
「それこそ、瞬くんからバンド取り上げるつもり? ダメよ。それにこれは、私が失恋したらの前提の話でしょう? ちょっと興味湧いて、話を深くしたのは私だけど、実際私はclassXに忙しくて、恋する暇はないの。だから心配しないで」
「ブチャはホントに枯れてやがんなぁ〜」
 清春が一歩、二歩と悠里に近付いた。もともとそんなに距離はなかったから、暗くてもどんな表情をしているかわかるくらい近付いた。
 予想に反して、清春が真剣なまなざしで悠里を見つめていて、鼓動が跳ねて、動けない。
「わ、悪かったわね」
「ホントに、逃げよーぜ?」
 そっと囁く言葉は思いもかけず、悠里の心を刺激する。
 ――ホント、かっこいい上に、ここぞって時に決めてくるんだから!
 ずるい。
 自分の武器の威力をわかっているだけに余計にたちも悪い。
「だ、駄目よ。私は、清春くんにちゃんと大学受かって卒業してもらうって決めてるんだから」
「じゃあ、卒業したら、一緒に逃げてくれんのかぁ?」
 顔をぐいっと悠里の目の前に寄せて、清春が云う。
 さっきから心臓の音が清春にも聞こえそうなほどだが、悠里はきっぱり首を横に振った。
「受かった大学に通って」
「じゃ、いつ、オレ様と逃げるんだよぉ?」
「なんで逃げる前提なの? 別に逃げる必要ないじゃない」
「逃げてー気分なんだよ」
「駄目よ。バスケばっかりになったら困るけど、それでもいいから私のそばにいてほしい。清春くんがいなくなったら………………、」
 そんなこと、想像出来ない。
 憎らしくなるほどの悪戯を重ねても、それでも卒業するまできちんと見守りたい。卒業はまだ先だ。それなのに清春がいなくなるなんて考えたくもなかった。
 胸が苦しくなって、悠里は顔を伏せる。
「どーしたんだよ、ブチャ!?」
 少しだけあわてたような清春の声。
「…………だめ。やっぱりだめ。逃げないで、清春くんはここに――私の近くにいて」
 清春が身動ぎしたのが、顔を伏せていてもわかった。
 そして悠里はあたたかいものに包まれる。目を見開くが、周囲は気付けば闇に覆われて、すぐそばにいる清春の表情も見えなくなっていそうだ。だが、感触から清春の胸の中にいると気付いた。
 しかしそれはすぐに解放される。
「つっまんねぇの」
 吐き捨てるような言葉に、悠里は顔を上げる。清春は悠里を見ていないのはわかったが、どんな表情をしているのかはわからない。
「清春くん………」
「おまえ、オレ様の云ったこと、ジョーダンだって思いもしねぇのかよぉ?」
「冗談だったとしても、そういう気持ちがなければいったりしないわ。私は清春くんの中にそういう気持ちがあったのかもしれないって思った」
「ホント、つまんねぇ」
 拗ねた口調は変わらない。それは悠里の言葉が正解を示しているからかもしれない。
 ――全部じゃないかもしれないけど。
 悠里個人としてなら、清春と逃げてもよかった。
 だけどやはり悠里は教師だし、万が一無人島に逃げたら、バスケが出来ない鬱憤を清春がためてしまいそうだった。
 それならば、自分の立場をしっかり踏みしめるようにして、清春に思い留まってもらうしかなかったのだ。
「ねえ、清春くん」
「んあ?」
「帰りましょう?」
 云って、悠里が清春に向かって手を差し伸べる。その手を清春がつかんで、ぐいっと悠里を引き寄せる。
 にやっと悠里に笑いかけたのが、暗がりでもよくわかった。
「しょーがねぇなぁ。オレ様、ブチャのそばにいてやっから、覚悟しろよぉ」
 その言葉に、悠里は自分は早まってしまったのかもしれない、と感じた。
 そしてその予感はすぐに的中した。
 暗いから危ないと何度も云ったのに、やはり来た時のように、悠里は清春に引っ張られて学校まで送ってもらったのだ。暗い分、行きよりも視界がつかめなくて、悠里が解放された時は膝ががくがくして、しばらく立てなかった。
 ――うう、早まったかも。
 そう思いながらも、悠里を放置して去っていく清春が「また明日な、ブーチャ」と云ってくれたのがうれしくもあったのだった。
 end





 091009up
表題にある曲をイメージして書いたキヨユリ
甘さは大幅に足りません
そしてどんどん曲のイメージから離れて
なにが書きたいのかわからず迷走しました