9月13日
補習を終えた悠里と二階堂は帰る悟郎を見送った後、片付けをしてから並んで廊下に出た。
「悟郎くん、少しずつ良くなってますよね」
今日は二階堂の担当教科の補習だったので、二階堂に同席してもらっていた。ただ二階堂は悟郎を気にかけているらしく、担当教科の前日は堅い口調ながらもアドバイスをくれる。そしてClassXの副担任になってから、二階堂の担当教科の日は用がない限り同席してくれる。今日で二回目だ。
――多分、私が一歩引いて二階堂先生に対してなかったら、きっと初めから同席してくれたんだろうな。
美形揃いの男性教師が多い中で、二階堂もかなり整った顔をしていた。しかし他の教師たちが優しくて、話しかけやすいのに対して、二階堂は常に固い印象があった。ほとんど変わらない表情から発せられる言葉の数々を、今はそれが二階堂の優しさである、とわかることでもその時の悠里は気付かなかった。
「そうですね。補習に出てくれるようになっただけでも進歩でしょう」
そう云いつつもなんとなく二階堂が喜んでいるような気がした。
「二階堂先生は悟郎くん捕まえるの、手慣れてますよね」
「それは、入学当初からですからね。しかしただ席に着かせるのと、授業に積極的に取り組むというのは違います。そういう意味では南先生も頑張っていますよ」
口調は固いまま、表情も全く変わっていないが、遠回しながら褒められているのを知って、南は微笑んだ。
「ありがとうございます」
その言葉に少し目をそらしてから、二階堂がなにか思いついたように、持っていた教材を開いた。
「そういえば、今日の授業のここの部分ですが、確かもう少し噛み砕いた方が風門寺くんにわかりやすいかと思うのですが」
廊下の途中で立ち止まり、南は二階堂の示した部分をのぞきこんで頷いた。
「そうですね。私もそう感じました」
「今、風門寺くんはやっと勉強に興味を持ち始めた時期です。導入部分をクリアすれば、学力は確実に上がります」
二階堂の言葉が、悠里にはうれしい。きちんと悟郎のことを考えてくれている。
「ふふ、やっぱり優しいんですね、二階堂先生」
「そんなことはありません」
そこで会話は途切れる。そして二人は並んで歩き出す。しかし悠里は今までほどこの沈黙が気にならなくなっていた。だが今日は少し違った。
――よし!
自分の中で気合を入れて、二階堂を見る。
「そういえば、二階堂先生」
「はい、なんでしょう」
「さっきの、ところなんですけど…………噛み砕かせるのに、私も参考書を買おうと思っているんですが、もし都合が合うのでしたら明後日の日曜日、一緒に選ぶの付き合っていただけますか」
「――っ!」
二階堂の表情が一瞬動いた。だがそれはすぐにそらされてしまう。
――ああ、私のバカ! もっとうまく誘えなかったの!?
誘い方としては今のB6のテストの点数くらい悪かった。さすがに悠里でもわかる。
参考書が欲しいと思ったのは本当で、しかしそれを口実に、もう一つの理由があったのだが、それを隠そうとするあまり、変な誘い方になってしまった。
――二階堂先生も呆れてらっしゃるわ…………。
二階堂の表情の動きを見ても、良い返事は聞けそうにもない。それどころか誘い方が悪くて、気分を害したかもしれない。
「――――構いません」
内心あたふたする悠里の耳に飛び込んできた言葉に、一瞬耳を疑った。
「ええっ!?」
驚く悠里をよそに、二階堂は淡々と言葉を継いだ。
「日曜は用がありません。参考書選びということでしたら、私もお付き合いさせていただきます」
信じられない気持ちで、悠里は二階堂を見た。それから破顔して、礼をする。
「あ、ありがとうございます!」
そして職員室までの短い道のりで、きっちり日曜の待ち合わせ時間と場所を決めてくれた。
日曜日。
少し緊張しつつ、悠里は普段よりは服装や化粧に気合を入れて、待ち合わせ場所に向かった。
二階堂を待たせてはいけない、と思って早めに出たのだが、待ち合わせ場所には二階堂がすでに待っていた。
あわてて二階堂のもとへ駆けていく。足音に気付いたのか、二階堂はこちらを見た。
「すみません、お待たせしてしまって…………!」
「待ち合わせの時間より早いです。謝罪の必要を感じません」
淡々とした口調に怒っている様子はない。それでも申し訳なさは感じてしまう。
「でも、二階堂先生は待たせてしまったでしょう? もう少し早く出れば良かったです」
「構いません。私が南先生よりも少し早く来すぎたのですから、気にしないでください」
「ですが………」
けれども、待たせたことにやはり気落ちしてしまう。しかしもう二階堂はそのことには取り合ってくれない。
実際、二階堂は話題を変えてきた。
「そういえば、先生。本屋に行く前にこれを見てほしいのですが」
そして待ち合わせ場所すぐそばにあったベンチに誘われる。悠里は首を傾げつつも、ついていく。並んで腰を下ろすと、二階堂は持っていた袋からなにかを取り出した。
「こちらなんですけど、」
手元をのぞきこむとそれは参考書だった。
「風門寺くんにもわかりやすいタイプのを何冊か見繕ってみました。少し見てご覧なさい」
うれしかった。参考書は一冊ではない。
――二階堂先生、わざわざ……?
差し出されたそれらに悠里は目を通す。二階堂が授業で使っていたのだろう、きれいだが使いこまれた跡がある。そして付箋のついたところは先日二階堂と、悟郎にはこの部分をもっとわかりやすく、といった部分がやはり噛み砕いてわかりやすく説明されている。
「わぁ、わかりやすいですね。今も売っていれば、これを買います」
他のもわかりやすく説明されていて、これならいい補習のプリントが出来そうだ。この参考書がまだ売っていれば、自分で一冊持っていてもいいだろう。
「いえ、それは、貴女が持っていてください」
「え? でも、これ、二階堂先生の大切な………」
二階堂の言葉に、悠里は目を丸くする。
「構いません。私は読み尽してしまったので、これから必要な貴女が持っていた方がいいでしょう」
悠里は参考書を胸に抱いて、二階堂に笑いかける。彼の気持ちがうれしかった。
「わかりました。では、しばらくお借りします」
けれども大切にしているだろう物を、悠里はもらうわけにはいかなかった。参考書といっても馬鹿には出来ない。悠里だって今も大切にしている参考書もある。この参考書もこれから先の二階堂に必要になるはずだ。
「いえ。持っていてもいいと………」
「駄目です。必要なところをプリントにしたら、お返しします。この参考書、すごく大切に使われているのでいただくなんてできません! ――でも、二階堂先生のお言葉に甘えて、ちょっと長く借りてしまうかもしれません」
強い口調で、これ以上は一歩も譲らないという態度で二階堂を見据える。さすがにその様子に、二階堂も苦い表情で白旗を上げた。
「では南先生のタイミングで返してください」
「はい、わかりました。―――で、あの、二階堂先生。公民の参考書はこれで十分なんですけど、他の教科の参考書も欲しいので、よろしければ、本屋に付き合ってもらっても構いませんか?」
「ええ、大丈夫ですよ。それならば、こちらはいったん返してください」
「え?」
悠里に向かって差し延べられた手に、悠里はきょとんとする。二階堂は胸に抱きしめた参考書を指し示した。
「これ、結構重いでしょうから私が持ちます」
「それじゃ、二階堂先生に悪いですよ…………」
胸に抱いたまま、無意識に後ずさる。だが二階堂も、悠里との差を詰めて云い募る。
「心配しなくてもお別れする時に渡しますよ」
「いえ、二階堂先生に限ってそういう心配はしていませんけど…………」
「それなら、おとなしく渡しなさい」
「はい…………すみません」
表情は変わらないままの強い口調に、悠里は負けてしまった。
参考書をまとめて渡すと、二階堂はそれが入っていた袋にしまって「さあ、行きましょう」と悠里を促して、立ち上がる。
そして二人は並んで、本屋へ向かったのだった。
各教科の教師たちのアドバイスの通りの参考書をチェックして、そのうちの何冊かを購入すると、ちょうど昼食の時間になった。
「二階堂先生、そろそろ、お昼にしませんか」
「ええ、ちょうどいい時間ですね」
二階堂が頷いたのにホッとして、悠里は問うた。
「………あの、二階堂先生、苦手な食べ物ってありますか」
「揚げ物が不得手です」
「あのっ、パスタのおいしいお店があるのですが、そこでお昼にしても大丈夫ですか?」
おずおず問うと、一瞬、二階堂が笑んだ気がした。すぐに元に戻ってしまったが、悠里は見とれてしまった。
「構いませんよ」
――二階堂先生も、やっぱり、かっこいいんだわ………。
他の教師たちに比べて、目立ちはしないが、それでも容姿でひそかに人気があるのは知っている。B6にT6と呼ばれる人たちに囲まれているせいか、どうにも最近感覚が鈍りがちだ。
二階堂の回答に安堵の息をつき、今度は悠里が二階堂を先導する。二階堂は以外でついてくる。
「じゃあ、こちらのお店で」
中に入り、それぞれ注文をした後、二階堂を残し、悠里は席を離れた。用を済ませて、戻ってくる。
「すみません」
二階堂は参考書を見て待っていた。悠里の言葉に顔を上げる。
「いいえ。そういえば先生は自分の担当教科でない参考書を買っていらっしゃるのですか?」
問いに、悠里は頷いた。
「買ってますよ。ClassXの担当になって、他の教科も補習が必要になったと知ってから、少しずつ買い集めています」
悠里の担当のグラマーはともかく、他の教科はやはり限界がある。容姿が整っていて、それが頭脳に伴っていない生徒たちに、いかにわかりやすく食いつき良くするのに、悠里は試行錯誤していて、今も進行形だ。休みの日は割と本屋に出向いて、参考書を物色していることもある。とはいっても、二階堂の担当教科以外は各教科の教師たちに申し出られて、参考書などはお勧めを教えてもらっていて、それを手に入れているので、ちょっと手は抜いているが。
「私の担当教科は…………?」
二階堂の問いに、悠里は気まずそうに顔をそらせた。
――他の先生は、いろいろ教えてくれたけど…………。
二階堂もそういう意味では他の教師たちと同じだった。しかし、他の教師たちのように、参考書のことまで突っ込んで聞くことが出来なかったのは悠里が悪い。
「二階堂先生に聞きづらかったので…………自分で見に行って買ってきてました…………」
「っ!」
二階堂の表情が崩れた。どうにも誤魔化せない状況だと判断して、正直に云ったのだが、やっぱり失敗だった。
「あのっ、でも、これからは、今日みたいに二階堂先生に頼ろうと思ってます!」
あわてて云い募ると、二階堂はそっと安堵したように息をついた。
「わかりました。次からはぜひそうしてください」
――ずっとやさしいんだ…………。
わかってしまった。今まで気付かなかったことを後悔する。
「はい、そうします」
悠里が答えたところで、食事が運ばれてきた。2人は他愛のない話をしながら、食事をする。二階堂の態度を見る限り、特にパスタに不満はないようなのを見て少し安心する。ただ悠里の気付かないところで気分を害している恐れはあるが、そこまで悪い人でなく、むしろ優しい人なのも知っているから大丈夫だろう。
――さて、と。
それぞれに食事を終えて、一緒に頼んだ飲み物を飲みながらまったりしている。しかし悠里はそう見せておいて、内心ドキドキしていた。
――一応、ここから本番になるのかな………大丈夫だといいな。
祈るような気持ちで、悠里は口を開いた。
「パスタ、おいしかったですね」
「ええ、南先生がお薦めすることはある」
「ここ、ケーキも美味しんですよ」
「そうですか」
云って、悠里を見る瞳は優しい。
「お待たせしました」
その時、2人の前にウェイトレスが現れた。二階堂は少し驚き、悠里はほっとした。そして二階堂がなにか声をかける前に、素早くウェイトレスに向かって、「ありがとうございます」と云った。驚き顔が悠里に向けられる。
「すみません、」
ウェイトレスが立ち去るのを見てから、悠里が口を開く。
皿は二つ、悠里と二階堂の前に置かれている。その上にはショートケーキが乗っている。
「…………悟郎くんから、今日、二階堂先生の誕生日だと聞いて、ささやかですが、私からケーキのプレゼントです! ケーキお好きかわからなかったので、カットにしたんですが…………無理だったら、」
話しながら、二階堂がケーキが嫌いだったらどうしよう、と思って固まってしまった。
――押しつけがましいことをしちゃったかもしれない…………!
ただでさえ、反応がわかりにくい二階堂だ。うつむいてくちびるを噛む。
「好きですよ、」
声と一緒にかちゃり、と音がして、悠里は顔を上げる。
「―――っ!」
悠里は別の意味で固まってしまった。
――二階堂先生が笑っている………!
夏に副担任を了承してもらってから、二階堂の表情の変化が少しわかり始めてきた。その中で笑顔らしきものもあったが、こんなにはっきりとした笑みは初めて見る。
「この歳での誕生日なんてもうそんなにうれしくないんですが、南先生のおかげで、今日はうれしいです」
云いながら、ケーキにフォークを指して、口に入れる。
「おいしいですよ」
「よかった…………!」
悠里は笑うのに、二階堂はくすりと笑みを深くして、言葉を継いだ。
「ほら、先生も食べてください」
指摘にあわてたように、悠里もフォークを取った。
「あ、はい…………」
この店にはよく来ていて、ケーキも悠里のお気に入りだ。
今回は二階堂に断られることも視野に入れて、お店にお願いしていた。断られたら、二階堂に別れた後、引き取る予定になっていた。そうならなくてよかったと思う。そんな気持ちがあったのか、二階堂と食べているからか、普段よりケーキが美味しい。
「本当にお好きなんですね。私の分も食べますか? それとももう一つ頼みますか?」
幸せをかみしめながらケーキを食べていると、そう云われる。それに首を横に振る。
「いえ! 二階堂先生の分は先生用ですからそのまま食べてください。先生の分なのに、私が食べちゃってどうするんですか、もう! っていうか、お誕生日が祝えません。――もう一つ頼むのは、カロリー上、遠慮します」
無理なダイエットで倒れたのが夏だ。それ以降は無理しないようにしているが、気になる時期に入る前からこういう甘いものの摂取は極力抑えている。二階堂が置いていってくれたレシピのおかげもあって、今のところ現状維持でなんとかなっているが、いつ崩壊するかわからない。ストレスのたまった日にスイーツを食べられるように、こういう日くらいに抑えている。
――二階堂先生のくれたレシピのおかげかな。
気がつけばスイーツに走る機会も減っていた。だけどやはりたまに食べるケーキは美味しい。
この一つを大切に味わって食べるつもりだ。
「そうですか」
「無理はしていませんよ。その分、こういうの、ちょっと減らしてます」
「ではなおさら、こちらのケーキは貴女に差し上げないと」
云って、まだ半分くらい残っているケーキの皿を差し出した。
「頑張っているご褒美ですよ」
「ずるい、です。でもでもこれは二階堂先生のお誕生日にって頼んだ分なので――――って、あっ!」
「どうしました?」
問いに、悠里は姿勢を正す。
「きちんと、云い忘れてました」
まだ不思議そうな二階堂に、にっこり笑いかけて云った。
「お誕生日、おめでとうございます!」
「〜〜っ! ………あ、ありがとうございます」
珍しく悠里から視線を外して、二階堂が云う。
「ですから、ささやかな私からのプレゼントのケーキは二階堂先生が食べてください」
継ぐ言葉に、二階堂は苦笑したようだった。
「仕方ありません。幸せそうに食べる貴女を見るのもよかったのですが、気持ちを無下にするわけにもいきません。では」
ケーキの続きを食べ始めるのを確認して、悠里も自分の分を味わって食べる。
「でも、夏にあれだけお世話になっていたのに、ケーキだけっていうのは申し訳ないです」
思い返してしょんぼりと悠里が云う。もうちょっとなにか買って上げればよかったが、なんというか遠慮してしまったのだ。それを今悔む。
「いいですよ。私はもう誕生日を祝う歳ではありませんから、ケーキで十分です」
「そうですか………?」
肩を落とす南に、二階堂はなにか考えるそぶりをした。
「ああ、でも、南先生がよろしいならば、この後、映画に付き合っていただけませんか。ちょうど見たい映画があったのです」
こういう映画なんですけど、と云われたタイトルは偶然にも悠里が観たいと思っていたものだった。
「私も見たかったものですけど、………それでいいんですか?」
「構いません。時間を割いてくれるのは、充分贈り物になるでしょう」
「わかりました。ちょうどケーキも食べ終わったことですし、行きましょうか」
にっこり笑って、バッグを引き寄せる悠里に二階堂は首を傾げる。
「支払いは…………?」
「ケーキを注文する時に、一緒に支払いました」
「女性に払っていただくなんて、本来ならすべて私が払うところです」
「でもそれではケーキがご馳走できませんからいいんですよ。今日は二階堂先生のお誕生日なんですから、気にしないでください」
二階堂は息をついた。
「わかりました。それではご馳走になります。その代わり、この後の映画は私が払います」
「……………はい」
強い口調と有無を云わさぬまなざしで云われ、悠里は頷いた。
本来なら映画代まで悠里が持とうとしていた。それくらいしなければ、二階堂に返せない気がしたのだ。
――でも、二階堂先生がそこまで云うなら、従おう。
そんなことを考えながら店を出ていく。
その後、映画を見て、夕飯までご馳走になってしまって、逆に申し訳なかったが、映画もよかったし、二階堂の案内する店も美味しかったし、もういいやって気持ちになる。
――それに………。
思いながら、横を並んで歩く二階堂を見る。
――なんとなく二階堂先生が楽しそうだからいっか。
まだうまく表情はつかめないけれど、なんとなくそんな風に思う。
参考書を持ってもらったまま、マンションの前まで送ってもらう。
「返ってご馳走になってしまって、それに送っていただいちゃってすみません」
「いいえ。私も有意義なひとときを過ごさせていただきました。この歳になって、まさか誕生日を祝っていただけるとは思いませんでした」
「…………誕生日は、いつでもうれしいものです」
悠里の言葉に、かすかに二階堂の表情が動いた。
「そうですね」
「いろいろありがとうございました。それではまた明日。おやすみなさい」
二階堂は微笑んで云った。
「おやすみなさい」
――来年はきちんとなにか送ろう。
部屋に着くまでに、悠里はそんなことを考えて、今日一日を思い返して幸せな気持ちに微笑んで心に決めた。
悠里の部屋と思われる場所の電気がつくのを確認して、二階堂は踵を返す。
――予想以上に楽しかった…………。
まさか自分の誕生日に悠里と一緒の時を過ごせて、さらにその日を祝ってもらえるとは思わなかった。
――ますますハマりそうだ…………。
ただその気持ちは悠里から頼まれた副担任としてのサポートで返せばいい。
自分のマンションまでの道を歩くが、悠里との時間を思い出すたびに、顔がゆるんでしまいそうになる。
――風門寺くん、ありがとう。
悟郎と2人の時に、悠里が見たがっている映画を教えてくれた。それくらい自分の気持ちが彼女に向かっているのはわかりやすいはずなのに、彼女は全然気づかない。
――大体わかっているんですか、南先生。
口でいくら誕生日が特別でないといっても、同僚と誕生日を過ごしたいのは悠里しかいない。他の人物なら断って、土曜にしていた。
映画も悠里が観たいのを思い出したから、提案してみた。
――本当なら、寄席に誘いたかったのですが…………。
それはもっと距離が近くなってからでいい。
参考書の相談すら今まで受けていなかったことを考えれば、彼女からどう思われているか、よくわかるから期待はしない。
――今日はちょっと特別でしたけど。
こういうのがあれば、それだけで充分だ。
今のところ、報われないとわかっていても、他に気持ちを向けられないなら、こうした小さなうれしいことを自分の中に組み込んでいくしかない。それでも悠里から優しい思い出ばかりもらっている。
――ありがとう、南先生。
そっと心の中でお礼を云いながら、二階堂は帰途に就いたのだった。
End
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