ゼロセンチ
近づいて、近づかないで。
どうかどうか。
補習の時間。
瑞希は黙々と悠里の用意したプリントを解いている。悠里はその顔をじっと見つめた。
悠里の担当しているclass Xの特に問題児集団B 6は容姿がとにかく目立つ。
普段寝てばかりいる瑞希も、翼に引っ張られても出るのバイトが出来るくらいの容姿の持ち主だ。
――普段はボーっとしているけれど。
静かな印象はただ眠るのが好きだからではないだろう。
そして先日の文化祭で、悠里は瑞希が隠していたかったことに気付いてしまった。そのことに関しては悠里も聞いたことがなかったので、隠していたかった、というのはあくまで悠里の推測でしかないが。
その偶然の残像を、悠里は忘れられないでいる。
――すごくきれいだった。
あの時、瑞希とトゲーをかばって、熱湯をかぶったせいでその部分が痛かった。その処置に向かうのに、瑞希に抱き上げられた時に見たそれは、その痛さが見せた幻覚かもしれない。だからこそ確かめたかった。
――また見たいって云ったら、怒られるかなぁ?
「どうしたの、先生」
声に、ハッと我に返れば、瑞希が不思議そうな表情で悠里を見ていた。
「あ、…ご、ごめんなさい。プリント終わったかしら?」
あわてたように云うのに、瑞希が首を振る。
「…………終わってない………僕の顔に、なにか、ついてる…………?」
「ついてない、わよ」
瑞希の追及はいつになく厳しい。
そういえば、文化祭以来、前よりもなついてくれているような気がするから、その影響で瑞希はそうなったのだろうか。
「…………じゃあ、僕に見惚れてた………?」
「う。」
まっすぐに問われれば、悠里もうまく誤魔化せない。
――教育者失格だわ………。
その悠里に反して、瑞希はうれしそうに微笑んで云った。
「…………それなら、いっぱい見て、いいよ…………」
「え、いいえ、そういうわけには………! って違う!」
ボケツッコミをして、悠里はやっと冷静になった。
「えーと、瑞希くんを見ていたのは本当です。すごい見ちゃってごめんなさい」
「………いいのに…………」
――さらっとすごいこと云った! でもスルースルー。
たぶんこの好奇心は、本当のことを知るまでおさまらないだろう。知りたくて、その度に瑞希を見るよりは聞いてみたほうがいい。
――正解か、わからないけれど………。
瑞希を見てもいい、と本人が許可をくれたのはうれしいが、そういう問題でもない気がする。
「……あの、怒らないでね?」
言葉を切って、瑞希を見ると、首を傾げながらも頷いてくれた。安堵して言葉を継ぐ。
「―――私、文化祭で火傷した時、瑞希くんにまで運んでもらったでしょう? ………その時、瑞希くんの前髪が風で持ち上がって…………普段見たことない、瑞希くんの目を見たの―――見るつもりなかったの! でも、すごくきれいで、痛みも一瞬忘れちゃうくらいだった」
前髪で隠していた瑞希の瞳は、普段見ているのとほんの少し色合いが違った。前髪が上がった時、瑞希は両目ともまっすぐ前を見据えていて、その色合いが違うのと、その凛々しさに悠里は痛みを忘れて見惚れた。
悠里の言葉を聞きながら、瑞希は少しだけ不快を表して、最後の言葉で、元に戻った。
そのかすかな反応で、悠里はあの時の残像が幻想でなかったことを確信した。
「………痛いの、忘れたなら、いい……」
「ごめんなさい。――で、夢じゃないのか、確かめたかったけど………もういいわ」
それだけわかれば、見ないですむ。
やはり意図的に隠していたのだとわかったなら、それ以上は踏み込まない。
「………どうして?」
瑞希は不思議そうに首を傾げた。
「あの時見たのが幻じゃないのは瑞希くんの反応でわかったから――綺麗だったからもう一回見たいのは、私のわがままだから」
悠里の言葉に、瑞希はほんの少し驚いたような表情をして、それからゆるやかに笑った。
「………今まで、そんな風に云われなかったから、隠してた……でもきれいなら、見てもいい………」
「ホントに?」
思わず問い返したのに、瑞希は頷いた。
「今見てもいい? えと、前髪…………」
「先生が上げて?」
まっすぐ見つめられてのセリフに、悠里は真っ赤になる。
――は、恥ずかしい! ――でも、目を開いてないと、瑞希くんの目は見られないし………。
「じゃ、失礼します」
「…………ん、」
悠里を見つめたまま、瑞希が頷いた。整った顔は片目だけでも悠里を揺さぶる。
そっと、瑞希の髪に触れる。そうしてゆっくり前髪を押し上げていくと、色の異なった瞳が悠里を見つめた状態で現れる。
「ホント、綺麗…………」
浮世離れした瑞希の容姿にますます不思議めいた要素を付け加えるその瞳は、けれど、瑞希らしかった。
「………どうして違うか、わからない」
ぽつんと吐かれた言葉の意味を、悠里は時間を置いて把握した。
――どうして片方ずつ色が違うのかわからないのね……。
悠里は微笑んだ。
「白い爬虫類呼んじゃうのと同じなのね。瑞希くんの不思議の一つを知っちゃったわ」
瑞希もうれしそうに微笑み返した。
「……そう。僕の不思議………だね」
「私もどうして道に迷っちゃうのか、作り方通りにやってるのにどうして料理の見栄えがよくならないのか、ちょっとした不思議を持ってるわ」
瑞希は少しだけ眉を寄せた。例えの出し方を間違えたのかもしれない。
「……すごい不思議………でも、一緒………?」
「違う不思議だけど、一緒よ」
「なら、いい……」
その時、瑞希が花がほころぶように笑った。
両目でのその笑みに、悠里は射抜かれてしまった。
「〜〜〜〜〜〜っ! あ、な、長いこと前髪上げちゃってごめんね。見せてくれてありがとう」
前髪をおさえていた手を離して、一歩後ずさる。距離を置いて、やっと鼓動が静まってきた。
「……先生ならいつでも見せてあげる………」
「ありがとう……」
瞳を見るのに、いつもより近く、瑞希がいた。
破壊力抜群の彼の容姿に、あの瞳。
――すごいわ……。
でも、許可ももらったから、また魅せられたように瑞希にお願いしてしまうのだろう。
それは推測でなく、確信だった。
end
|