【愛称の秘密】

 記憶をたどっての一番古い彼の印象は、肌が白いこと。くちびるが赤かったわけではないが、清楚な日本人形を思わせた。華奢な身体つきに、ショートカットの髪、白い開襟シャツに半ズボンと、ある意味男児の特徴を持っていたにもかかわらず、東金は自分と違う性別を持っていると思っていた。
 知っても、自分と同じ性を持っているように感じなかった。

「かわいかったよなぁ………」
 八木沢と会う度に、その記憶がよみがえってくる。年に数回会えばいい方だが、会う度のことなので、記憶が薄れることはなく、もっと云えば会えない時、ふとアルバムでかつての八木沢を見ることもある。思い出は美化もされない代わりに、残像は今を憂うほどにあざやかに相違を示す。
 星奏学院の寮の共有スペース。ここを訪れる前、写真で見た限りでは家具がぼろぼろだったので、東金が一新したのだが、そうするとかなり趣のあるスペースに変身した。部屋も好きだが、ここで土岐とだらりとしているのも割と気に入っている。茶、と云えば芹沢が紅茶を入れるのもいい。
 東金はぼやきに、かたわらの土岐がゆるりと顔を上げる。
「小日向ちゃん? ―――それとも、至誠館の八木沢?」
 長い髪をだるい様子でかき上げて、土岐が問う。
「今はユキかな?」
 土岐はそのことを知っている。だから素直に答える。
「まぁ、写真見ると納得するけどね。千秋のそれはどう考えても、なんかの病気とちゃうん?」
「俺は正常だ」
 土岐の言葉に、東金はきっぱりと返した。
 時折思い出すだけだし、会いたくなってたまらなくなることもない。
 それでも土岐は納得しない。
「そう云うのは勝手やけど、でも病気やと思うで」
「かわいかったんだよ!」
「初恋やもんね?」
 意地悪く問うように云って、土岐が笑う。
 ふん!と鼻を鳴らして、東金は思い出す。
 八木沢と会う度にたやすく戻ってしまう、初めての出会いを。

 母親同士の付き合いで、会いに行ったり会いに来る、八木沢が東金は一番可愛く思った。肌も白いし、性格も控えめだし、すべてが東金好みで、ほぼ一目惚れだった。
 ――それも、性別がわかるまでのことだったけど。
『やぎさわゆきひろと云います。よろしくね、千秋くん』
 年の割にきちんとした言葉で、にっこり笑って挨拶をする八木沢に、当時の東金はかわいいな、と思い、名前を反芻してきょとんとした。
『ゆきひろって男の名前みたいだ』
 東金の率直な物言いに、八木沢は気を悪くした様子もなく、首をわずかに傾けて、云った。
『ぼくは、男だよ?』
 一目ぼれの初恋は短かった。
 とはいえ、その後敗れた初恋のことは忘れて、一緒に遊んでも、まるで女の子みたいに控えめで、やさしくやわらかい性格なので、東金はなかなか初恋を捨てることが出来なかったのであるが。
 八木沢と遊ぶのは楽しかった。暴君のようにふるまう東金におびえることなく、けれどもかなり譲ってくれて、居心地がよかった。
『ユキ』
 東金はふとあることを思って、呼んだ。
『なに、千秋くん』
 八木沢は無邪気に東金の方を見る。
 目の前にいるのは、『やぎさわゆきひろ』ではなく『やぎさわゆき』なのだ。名前を途中で切ることで、少し男らしさが消えた。
 ――なんか、いいかも………。
 幼心に思った。『ゆきひろ』ではなく、『ユキ』と呼ぶことで、なんとなく八木沢が同性であるのを忘れていられた。
 ――どうやっても、男なんだけど、さ。
 近くで見るとわかるし、意外にやんちゃな面もあるが、それでも動いてしまう気持ちはどうにもならない。
 せめてもの抵抗というやつだ。

 ――そんな理由で呼んでいるとは、夢にも思っていないだろう、ユキ?
 そう思った時に、当人がいて、さすがに東金を驚いた。
「千秋、ここにいた」
 少し怒った口調に、東金がにやり、と笑いかける。
「おう、どうした、ユキ」
 緩慢なしぐさで云うのに、八木沢の眉はますますひそめられる。
「『おう、どうした』じゃないだろう? 『甘味くれ、大至急で』なんて云っておいて、―――まぁ、千秋だから、仕方ないか………。出来たけど、ここで食べる?」
「ここでいい。――芹沢!」
 東金が声を上げると、八木沢の横にすっと人影が立つ。最近とみに神出鬼没になったような気がする。
「熱い日本茶でよろしいですね」
「ああ、」
 東金の答えに頷いて、身をひるがえす芹沢の背中を八木沢が追いかける。
「待って。――芹沢くんも台所に行くなら、一緒に行こう」
 並んで歩き出すのに、芹沢は戸惑ったように頷いた。
「……はい」
 そしてちらりとこちらを向いて、東金を見ると、申し訳なさそうに頭を下げた。そして八木沢と連れ立って、台所に消えていく。
「…………芹沢にもバレバレってどうなん?」
「――うるせー………」
 芹沢には云っていない。
 しかし先ほどの芹沢の様子だと、なにかには気付いているようなのはわかった。
 そしてなにより、並んで歩く姿に、いらっとしたものを感じている自分がいた。これでは隠しようがないのかもしれない。
 すっと背筋の伸びた後姿が残像で浮かび上がる。
 芹沢はきっと八木沢の手伝いをして、また2人で連れ立って戻ってくるだろう。そう思っても、東金は席を立つ気はない。それはそれで悔しい気がしたのだ。
 土岐は黙っている。けれども自分の様子を見ているのはわかる。それもあって、立たないのだ。
 すると八木沢と芹沢の話し声が聞こえた。もう支度を終えて戻ってきたらしい。
「2人とも、仕事、早いねえ」
 土岐のつぶやきを無視して、東金が2人を見据える。
「おまたせー、……土岐さんもどうですか」
 芹沢が持つトレイには、4人分のお茶と和菓子が乗せられている。
「ほな、いただくわ」
 土岐が身を起こした。
「遅いぞ、ユキ」
「ごめんね。和菓子、ひっくり返りそうになったのを、芹沢くんに助けてもらったりしたから」
 変な体勢だったから、もとの体勢に戻るのも大変で、と継ぐのに、東金は意地を張って、台所に行かなかったことを後悔した。
「おまえは、相変わらずドジだよな」
「そんな簡単には治らないよ」
 少し困ったような表情で、八木沢は答える。
「ま、菓子が無事でよかったよ」
「うん。芹沢くんのおかげだ」
 東金は八木沢に気付かぬように、ギッと芹沢を睨んだ。滅多に動かなくなった表情は、少しだけ申し訳なさそうな色に変わる。
「早よ、食べよ。ぬるくなってまうで」
 土岐の言葉を合図に、4人はそれぞれ好きなとことに腰かけて、和菓子とお茶を楽しんだ。
 芹沢のお茶は褒めるのに、自分の菓子は厳しい表情で食べる八木沢を見て、東金はそっと笑う。
 ――あいかわらず、自分に厳しいな、ユキ。
 年に数回、東金も八木沢も変わっていっているが、根本は変わらない。
 だからではない。けれども今も、かわいいと思っているのは、誰にも云えない。
 End 100325up

 東ユキ、なんか名前みたいですが、東金八木沢とかも云いづらい。
 電撃のように一つのエピソードだけ書ければよかったんですが、思いもよらぬ長さになりました。芹沢書くのは楽しいですが、難しいですね。