【やさしく、さらって】 音は、心を奪う。 だけど、心を奪う音を奏でるこの人は、やすらぎをくれる。 がく、と少し離れたところにある頭が落ちるように揺れた。 「…あ………」 譜読みをしていた火積が困って呻くが、動かない。いや、実際にはどうしたらいいのかわからないのだ。 今この部屋には部長の八木沢と火積の二人きり。他の部員たちは最悪のタイミングでいない。 どうしてこんなことになったろうか。 自分の不運を呪ってしまう。そして八木沢はいつの間に、うたたねをしていたのだろうか。 いや眠ってしまうのはいい。自分も、八木沢の頭が揺れるのを見るまでは眠かった。その状況に気付いて、一気に目が覚めてしまった。 火積は大きくため息をついた。 ――俺が……起こしたら、さすがの部長も怖がるだろうし………。 自分の容姿はよくわかっているつもりなので、起こして怖がらせたくない。 ――まして………部長だし………。 八木沢を起こすのはいい。おそらく他の人よりは自分を怖がらないはずだ。しかし、寝起きの八木沢におびえられたら、自分が傷つく。それはわかった。 しかしそう考えている間にも、八木沢の頭はぐらぐら揺れている。その揺さぶりで起きてしまえばいいのに、八木沢は起きる気配もない。 「あー、部長?」 遠慮気味に声をかけてみた。 数秒待ったが、返事はない。返ってきたのは頭の揺れだけだ。 「部長………!」 困惑が憤りする響きになってしまう。そんな声で呼んだのに、やはり八木沢は起きない。 ――普通に寝てるだけならよかったんだがな………。 それなら八木沢も疲れているのだろう、と寝かせておいたのだが、なにせ頭は揺れっぱなしだ。八木沢は割とそそっかしくて目が離せないタイプだから、その頭の揺れでどうなってしまうかわからない。床にでも激突したら大変だ。 火積は大きく息をつくと、心を決めて、立ち上がった。 大股で歩くと、数歩で八木沢の後頭部がすぐ目の前にある位置に辿り着く。 「部長………?」 小さく呼びかけるが、返事はやはりない。そして見ると、八木沢が見ていたらしい譜面が、八木沢の脇で床に散らばっていた。火積はそれを丁寧に拾う。順番をそろえながらゆらゆら揺れる八木沢の後頭部を見つめる。 ――どんな顔で寝ているのかな……? 日々の練習で大変なのだろう。そんな部長に胸が熱くなる。と、同時に火積の中である感情が湧きあがった。 ――それは………まずいだろ…………。 思ったが、身体は勝手に動いてしまう。くるりと、八木沢の座る椅子を回り込んで、八木沢の正面に来た。そしておそるおそると云った感じで、八木沢の顔を覗き込んだ。 「うわ…………!」 思わず声を上げてしまう。 不安定に揺れる頭と印象は対照的に、八木沢は普段のおだやかな表情そのままに眠っていた。 ――頭、揺れてっけど………なんか気持ちよさそうだな………。 先ほどの緊張感が一気になくなったくらいに、気持ちが落ち着いていた。 そうだった。 八木沢はとても人当たりがいい。性格はやさしくやわらかいものの、しっかりとした信念を持っている。だからこそなのか、火積にも普通に接してくれるのだ。 ――起こさずに、このまま、寝せとくか………。 思いながら、自分が羽織っていた学ランを八木沢にかける。しかし頭がぐらぐら揺れるのはまだ続いていて、そればかりはどうしようもない。 けれども移動するにしても、かなり動かさないと壁際には寄れない。八木沢くらいなら動かすことが出来るが、やはり起こしてしまうのは気が引ける。 いっそ自分が座っていた椅子を移動させて、自分の肩を貸せば、もしかしたら八木沢の安眠は守れるかもしれない。 でも椅子を動かしたところで、八木沢が目を覚ます可能性は捨てきれない。 ――多分、起こしちまうよな………。 それだけはどうしても避けたかった。 そんなことをぐるぐる考えながらも、火積は八木沢の寝顔からずっと目が離せない。 ――部長は、こんな顔で寝るんだ………。 合宿した時も、誰より遅く寝て、誰より早く起きるので、寝顔を見たことがない。なにかの大会の時に、移動のバスで寝ていることもあるが、今のようにぐっすりという感じではないし、見てしまうのはなんとなく、自分の気持ちとして駄目だ、と思っていたので見ていない。 ――どうしたら、いいんだ…………? 心の中では頭を抱えているが、実際は八木沢の寝顔をボケっと見ているような状態で、火積は思った。 安らかな寝顔に反して、頭はずっとあちこちに揺れっぱなしで、その反動か、火積のかけた制服の上着が八木沢の肩から落ちる。 それをそっとまたかけ直すと、八木沢が目を開けた。 「ん………あれ、火積………?」 寝顔に見とれたままだったので、思いきり目が合った。 「ぅわ、すいません!」 気まずさに、顔を真っ赤にして、深く頭を下げる。 「僕、寝ちゃってた…………? ――それは僕の方こそごめん、だよ」 寝起きとは思えないほど、しっかりした声だ。 「いえ、そんなことありません………!」 「ほら、頭を上げて」 言葉の通りに、おずおずと顔を上げると、八木沢がにこっと普段より少し幼い笑顔を向けた。瞬間、火積の鼓動が跳ねる。 「起こしてくれたのかな? ありがとう」 「いえ…………!」 「さて、じゃあ譜読み、再開するかな……って、僕、譜面も落としちゃったんだね。ありがとう」 にっこり笑って、火積の持っている譜面をもらおうと立ち上がろうとして、その身体がぐらり、と揺れた。 「部長………!」 よろめいた身体を腕を出して、支える。 抱き止めるような形になって、さらに八木沢の身体が倒れてしまわないようにがっちり抱え込んだ。 「………なんかまだ、寝ぼけているみたいだね、僕」 八木沢のつぶやきに答えることが出来ないほど、火積は予想外の距離に驚いていた。心臓が破れそうなくらいに早鐘を打っている。 「火積?」 何も云わない火積をいぶかしく思ったのか、八木沢が問う。 ――こ、これは………! 火積は完全に固まってしまった。 とっさに動いてしまったとはいえ、これではまるで抱き合っているみたいではないか。 しかもそのシチュエーションに追い打ちをかけるように、首を傾けるようにした八木沢の動作が、顔を火積の胸にくっついて、火積の心臓は完全にヒートアップする。 「――うーん………なんか頭がぐらぐらするなぁ」 火積に聞かせるわけではなく、つぶやいた言葉に、火積は先ほどまでの八木沢の頭の揺れを思い出し、ふ、と口の端を上げた。 「俺が気付いた時には、部長の頭はずっと揺れてました」 火積の言葉に、八木沢は頷く。 「……そうか、だからかー………あ、上着、落としたままだね。ごめん」 心臓を壊すほどの破壊力を持った密着はあっけないほど簡単に離れていった。 火積の上着を拾い上げて、軽くはたくと火積の方へ差し出した。 「さぁ、譜読み、再開しないとね」 きりっとした口調に、火積も背筋を伸ばして答える。 「はい…………!」 「そうだ、火積」 自分の椅子に戻ろうとした背中に、八木沢の声が追いかけた。 「はい、なんですか」 振り返ると、八木沢は笑顔を向けて、火積に云った。 「次、寝ちゃった時は――頭揺れないように、肩、貸してくれるとうれしい」 「〜〜〜〜〜っ! ―――はい」 思いもよらない言葉に、きっと火積の顔は赤くなっているだろう。しかし、そう云われたのがうれしくて、火積みはその顔を隠さずに、八木沢に向かって大きく頷いたのだった。 End 100325up ほづユキと書いてみるテスト。とはいえほづやぎ、の方が呼びやすいやも。至誠館部長は思い切り愛されているといい…! しかし眠る話、好きだねえ、自分。 |