眠れないはずがないのに、坂木は夜中にぱちりと目を開けてしまった。 そしてまどろみながら室内を見渡した。暗い室内にじょじょに目が慣れていって、そして見慣れているけど、自分の家とはまるで違う天井。 ――そうだ、今日は鳥井の家だったっけ。 明日は休日で鳥井と出かける約束があったので、そのまま泊まってしまった。普段着なら坂木のものが鳥井の家にある。鳥井の家にこんなふうに泊まって出かけた夜はまた鳥井の家に寄って、背広を持ち、普段着を着て帰り、次に行く時にまた洗濯した普段着を持ち込むという繰り返し。昔も今も坂木は変なことだとは思っていない。夜間着もそうしているので、今も自分のものを着ている。 そんなことを考えているうちに、坂木の思考はすっかり冴えてしまった。 ――困ったな………明日、早いのに。 何時だろう、と考えてみるが、視界に入る範囲で時計は見えない。 なにが、というわけではない。でも坂木は一気に不安になった。 隣の寝室に鳥井がいるが、独りきりの夜のリビングで、どうしようもないほどの孤独感が自分に這い上がってくるのを感じる。 ――こういう時、どうすればいい? たまに、家にいる瞬間、ふとそんなふうに感じてしまうことがある。 そういう時、一応足掻いてみる。大抵は、寝たり、ふらりと出かけたり、お酒を飲んだりして、解消されてしまうが、そうでない時、坂木はまず鳥井に電話をかける。 家にいるのに、でもかける時間はまちまちだから、寝ている時もあるだろうに、鳥井は必ずといっていいほど、電話に出る。 おそらくそういう状態の坂木は結構手に負えない。自分でもそんなふうに感じる。だけど、あの孤独感は駄目な時はあらがってもあらがっても襲いかかる難敵に成長していて、坂木も出来れば鳥井の心の波を立てないようにしたいと思いつつも受話器、あるいは携帯電話に手を伸ばしてしまう。ある意味最後の手段。 電話をして、まず留守番電話のアナウンスが聞こえてると、坂木はホッと息をつく。変なのは承知だが、留守番電話ということは、もしかしたら、ではなく、絶対に鳥井が鳥井の家にいるということだからだ。「メッセージをどうぞ」の機械音のアナウンスが聞こえた後、坂木はなにもそこに吹き込むことなくどこかうっとりとした気持ちで無言を楽しむ。メッセージを入れないのは用事がないからと鳥井が嫌がるだろうから。会話はしなくても、留守電メッセージを入れるその無音は鳥井と繋がっているのだ――そんなふうに思うと、その静かな空間さえ抱きしめたくなるほど愛おしい。 気が済むまで(とはいってもそんなに長くはないのだが)それを楽しんだ後、ようやく落ち着いた坂木が、鳥井に「いたずら電話みたいでごめん」と心の中で謝って、受話器をおくその直前に通話が繋がる音がして、それは毎回のことなのに、坂木はいつも驚いて電話を取り落としそうになる。そして受話器を取り戻しながら、坂木は何度か深呼吸して口を開く。 「――ごめんっ!」 「………坂木?」 坂木の謝る言葉と、通話に切り替えてもなかなか話したがらない鳥井の問いかけがいつもユニゾンしてしまう。 そして互いにちょっと笑って、少し話をする。もうすぐ朝という深夜の時間帯ではない限り、鳥井はたいてい坂木を自分の部屋に誘って、坂木も喜んでその言葉に従う。そして鳥井の部屋から帰る、あるいは彼との通話を切った時には坂木の気持ちは完全にそういう空気が霧散している。 ――それが、どうして、鳥井の部屋で? 彼の部屋に来てこういうことはなかった。離れて寝ていても、共有する空間が近いせいか坂木は非常に満ち足りていた。 なのに今日は違う。 その距離さえももどかしい。 ――多分、そばにいてくれるなら鳥井じゃなくてもいい―― あの孤独感はそういう類いのものだけど、坂木はそれでも鳥井がよかった。 ――でも、鳥井、今寝てるしなあ………いつもみたいに電話するわけにもいかない………。 考えながらも坂木の目はまっすぐに鳥井の寝室を見ている。 ――ダメダメッ! そうだ、寝ちゃおう。 朝になったら忘れる。だから寝てしまおう、と思考は冴えつつも、布団を頭にかぶり込む。 カチャ…。 「――――――っっ!」 音がしたのはその時だった。坂木は心臓が飛び出そうなくらい驚いた。そしてそのまま動けない。 視界も、さっき布団をかぶってしまったので、なにも見えない。 ひたひたと歩いているような音がする。幽霊? と一瞬考え、背筋を通り抜けた冷汗に、心の中で懸命に否定する。だが気配は確実に坂木のそばにいて、しかも自分に近づいているような気がした。もうどうしていいのかわからない。 「さかき、ねてる?」 その緊張の中、ぽつん、と問いかけが落とされる。小さな声は、確かに坂木の耳を打った。それで坂木は一気に我に返った。 「鳥井っ!?」 思わず布団をはね上げて、起き上がると、思ったよりそばにきょとんとした表情の鳥井に出会った。鳥井がここにいることに不思議だった坂木には、鳥井の表情の意味がわからない。だけど坂木だけをまっすぐに見つめる瞳にその問いはしまう。 「鳥井、ごめん。驚かせたかい?」 坂木の問いかけに、鳥井は首を横に振る。坂木が泣いていないのに、なんとなく、子供モードだ、と感じる。今、泣いていないのにどうしてだ、とも考えるがそれはわからなかった。 沈黙が流れる。 鳥井はただ坂木を見つめりばかりで、坂木も目を逸らせない。 こういう時、絶対にそらしてはいけないことを坂木は知っている――いつもは苦にならないことがしんどいと感じていても。 すっ、と、自然な仕草で鳥井の指が、坂木の頬に触れる。細い、神経質な指先が坂木の肌をなぞる。そうして子供モードの鳥井は本当に不思議そうに坂木に聞いた。 「泣いてないけど、泣いてる。さかき、どうして?」 「〜〜〜〜〜っ!」 視界が、歪みそうになった。 「どうして………」 坂木は呆然と呟くしか出来ない。 ――なんで、鳥井にはわかったんだろう? 「さかき? だれかが、さかきをいじめた?」 さらに問いかける言葉に、坂木はハッと我に返る。 「違うんだ、鳥井」 強い言葉になるよう、祈りながら坂木は口を開いた。 ――違わないけど、違うんだよ、鳥井。 それは本当の気持ち。鳥井にはそのかけらを見つけられてしまったけれど、誰かにいじめられたわけではない。 「ちがう?」 「ちょっと、ね。泣きそうにはなってたけど……それは僕の問題だから」 本当ならもっと強く云い聞かせなくてはならないけれど、違う、と問うた時の鳥井の表情にそこまでは云い切れなかった。 鳥井の表情が坂木の言葉を聞くにつれて、少しずつ和らいでくる。 「ありがとう、鳥井」 ――気付いてくれて、とても、うれしかったよ。 気持ちを込めて、坂木は鳥井に微笑みかける。 それでようやく鳥井はほうっと安堵の息をついた。 「よかった………」 そしてそのままことん、と坂木の布団にもたれかかるようにして、鳥井は目をつむってしまう。 坂木は驚いて、あわてて自分にかけていた布団を鳥井にかける。 「………風邪、引いちゃうよ?」 起こしていいものか悩みながらなので、小さく呟くように云うと、ぱっと鳥井が目を覚まして、坂木がかけた布団を勢い良く宙に舞わせた。その間に、鳥井はするり、と素早く坂木の寝ているところに自分の身体を滑り込ませて、布団が舞い降りた時には、2人は仲良く布団の中におさまっていた。 その状況に、坂木は唖然として、わずかの間なのにすっかり眠り始めている鳥井を見つめる。 普段ならこんなにすぐに眠り込むことは、たとえ坂木のそばでもない。だから眠るまで、子供モードだったのかもしれない(もっとも子供モードは坂木以外の人の前では警戒心むき出しなのだが)。 そんな鳥井に、うれしいやらおかしいやらで、坂木は笑うことしか出来なかった。 「――おやすみ」 眠る鳥井にそっと云うと、坂木も横になって眠った。 もう、あの気持ちはどこにもなく、代わりにとても暖かいものが坂木の心を満たしていた。 end 060407up |