「はい、おしまい」 沢田の言葉が合図のように、新井はぱちり、と目を開けた。 本当に自分の髪に触りたかったのかを新井は確かめたくて、恥ずかしさを脇に置いて、沢田を見る。 口元に笑みをはいて、少し真面目な表情で、沢田は新井を見ていた。新井と目が合うとにこりと笑みかけられる。 「サンキュな」 その礼は、新井が髪を触らせたことに対してだと気付くのに、少し時間がかかった。 「ああ………」 「また、触らせて」 ぐい、と顔を覗き込むように身を乗り出されて、新井は驚いた。そのうちに脇に置いていた恥ずかしさを思い出して、また目を伏せそうになる。 ――でも。 新井は考えた。すぐに、切り返しを思いつく。あまり頭脳派ではないのは自分でもわかっているので、これはある意味画期的かもしれない。 「お前の髪も触らせてくれるなら」 にっと笑って、新井は沢田の髪の房を指で掬い上げた。先ほど新井の髪に触れたように、触れてみる。そういうふうに、自分で髪を整える時に触れているが、やはり自分のものとは比べ物にならないくらいに、髪の弾力が異なった。 顔の距離10センチくらいで2人の目が合う。 もう髪に触れられたので、沢田と目が合っても、先ほど目を合わせられなかった時よりも恥ずかしさはない。 新井の言葉に、驚いたように目を見開いていた沢田の目がゆっくりと細くなり、表情そのものが甘くなる。その変化に新井はしばし見蕩れていた。 「俺の髪でいいなら本当にいつでも触っていいよ」 甘い表情で云われた言葉に、新井の心臓はまた早鐘を打ち出す。 ――こないだから変だ、俺………。 速まる心臓をどうしたらいいのか考えようとした時。 ふわん、と甘い香りがただよった。 鼓動は少し落ち着き、新井は沢田の髪を見る。右手の指はまだ沢田の髪の房を掴んでいる。 ――さっきも、こんな匂いしたよな………。 昼、沢田の髪を触った時はこんな匂いはしなかった。 髪からする匂いなのは気付いていた。だけど、もし昼もこんな匂いが髪からしたのなら、あれだけ頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた新井が気付かないはずがない。 持っていた髪の房に、新井は顔を近付ける。鼻が触れる前から甘い香りはいっそう強くなった。 ――なんだろう、この匂い? どこかで嗅いだことはあるが、なにかははっきり思い出せない。お菓子のような香りである。 「わかった?」 顔を寄せた新井に気付いた沢田がうれしそうに云った。 「これ、」と云いながら、髪を指差す。その様子がどこか自慢げに見えるのは新井の気のせいだろうか。 「バニラエッセンスだよ。和也が俺の髪、綿菓子みたいって云うから、そういう雰囲気にしてみようと思ったんだ」 新井は驚きで言葉をなくし、目を丸くした。 それからぶはっ、と、沢田の髪を指から解放しながら吹き出した。 ――なんだよ、それ! 綿菓子みたいだと云われて、その匂いを自分の髪に振りかけるなんて、信じられなかった。 云われてみれば確かに、バニラエッセンスだった。 げらげら笑う新井に、沢田は不思議そうな顔をして呟くように云った。 「気に入ってもらえると思ったんだけど」 そういう問題ではないことに、沢田は気付かない。 それでも胸はあたたかくなる。だからそこは指摘せずに、笑みを抑えて、新井は云った。 「そんな甘い匂いしたら食っちゃうよ」 「食べてもいいよ?」 即答の切り返しに新井は目を見開いた。 「〜〜〜〜〜っ!」 本当に、頭にかじりついて髪を噛んでしまいそうだった。 そんな衝動が自分の中にあることに、新井は自分で驚いた。 ――駄目だろ、俺………。 本人がいいと云っても、その本能に従うことは駄目だ、と新井は思う。 「ハゲになるぞ」 焦りながらも云う言葉はきっと少し震えてる。 そんなこと思ってしまった自分に、それでもいいよ、と云う沢田が、少しこわい。 「そうしたら責任とって」 いたずらっぽく云われて、新井はわざとらしく大きくため息をついた。 ――変なヤツ。 思ったけど、それは云わない。 「今度も触るだけにしとく」 呆れた口調に、沢田はそれでもうれしそうに笑った。新井は肩を竦めて、そして笑う。 やはりどこかつかめない不思議なところは変わらない。 ――きっと、この髪みたいに。 070123up |