「ふうん、」
 種田は感心したように唸った。しかし、その響きの中にはどこか不審そうな納得いかないものも含まれていた。
 しかしすぐに思い直したように、歩を進めた。

「これは?」
 藤川がかりそめだが、自分の机の上に置かれたものを見て、眉をひそめて云った。
「朝、散歩がてらに歩いていた時に見かけたので。――淹れたてでもありませんが、どうぞ」
 疑うのが自分たちの仕事だから、当然予想していたので、種田はすぐに答えた。逆にそのスムーズさに、藤川は戸惑ったようだ。
 藤川に会うまで、あまり耳慣れなかったコーヒーショップの名前を、空で云えるようになったのは、彼のこだわりからだ。種田は歳も藤川よりずっと上だし、すぐ下の部下であるから買いに行かされたことはないが、こだわりゆえに何度かそのショップでコーヒーを一緒に飲んだことがある。
 正直、種田には普段飲んでいるのと違いがいまいち測りかねた。もともとコーヒー自体にそれほど価値を置いていない。味はともかく、ないと困るものではある。
 ――ただ、あれだけは、少し面白かったのだが。
 種田はそこで一緒に買った自分の分を飲みながら、思い返した。

 2人で初めてそのコーヒーショップで一緒に飲んだ時のことだ。
そのコーヒーショップを外出の通りがかりで見つけた藤川は「時間があるから、ここで飲んでいこう」と云った。その時には、彼のこだわりを知っていたので、これが件の藤川のお気に入りか、と思い、興味を持って了承した。
 藤川はお気に入りのカフェラテ、種田はよくわからないので、ブレンドを頼んだ。軽く目的地の最終打ち合わせをもう一度しつつ、互いに飲んでいた。一口飲んで、味が深いと思ったが、それは常にインスタントに慣れている舌がそう思わせただけで、種田はとりたててその違いを感激にも持っていけなかった。そして店内のゆるやかな印象も、苦手だった。普段もっとせわしない環境に身を置いて、それが深く染みついてしまっているようだ。
しかし会話が途切れた時に、藤川がわずかにそわそわした様子で、こちらをうかがっていたのがわかった。初めは気付かなかったそれの、意図を種田は先ほどと変わらない状況を保ちつつ考える。そして思い至る。藤川は種田の反応を待っていたのだ。なにげない風を装うのは長たるものとして合格だが、そのそわそわした所作がエリート官僚にはとても思えなくて、種田は心の中で苦笑した。そして云う。
「うまいですね。すっかり味わってしまいました」
すぐに感想を云わなかったことのフォローまで入れると、藤川の表情がほころんだ。勢い込んで大きく頷く。まるで子供のようだ。種田は相好を崩す上司の顔を見て、驚きつつ、内心苦笑する。
しかし店内に流れる時間と自分たちに流れている時間は全く違う。それは藤川も同じだったようで、飲み終えると二人はほぼ同時に席を立った。
店を出る時、藤川が小さく「また来よう」と云ったのに、どう反応していいのかわからなく黙ってしまったが、それを了承と取ったらしい藤川に請われるまま、あれから数回、外出時のタイミングが合った時に店を見つければ入るようになっていった。

 少しの間の回想だったが、藤川はまだなんとも云えない微妙な顔をしていた。一瞬、気に入らなかったのか、と考えたが、しかし先ほどと違いその手には種田が買ってきた入れ物が握られている。
 店にはもっと保湿効果の高い容器もあったが、ただでさえ、ここのコーヒーは味が深いといえど少し値が張る。領収証はもらわずに、あくまで種田の好意だったので、そちらは購入しなかった。
「……ああ。――でも、まだ熱いな」
 口につけて、藤川が云った。それは上司の気遣いと取って、種田が返す。
「それなら良かった」
 藤川の仕事は、その内容がハードだ。もっともハードでない仕事など、この職種で存在しないと考えているが、この土地の、というよりも、先日のやり取りが少しかわいそうに思った。他の土地では藤川の願いがほぼ叶っていただけに。
「場所はこの近くか?」
 予想もしなかった
 気軽に行ける距離ではないが、歩くのがさして面倒な距離ではない。しかし、お使いで行ける距離でなかったのは確かだ。
「近いとも云い難い所でしたね」
「今度、連れて行ってほしい」
 上司からの珍しい頼み事に種田は目を丸くした。
「構いませんが、今の件が早く片がつけば、戻った時にいくらでも行けるでしょう」
「そうではそうだが………、けれど、早く片がついても行ってみたい」
「わかりました。それではタイミングのいい時にでも行きましょうか」
 すると藤川は目元をほころばせて頷いた。
「ああ、頼む」
「はい。――でも、打ち上げがあそこなのは勘弁願いたいものです」
「ぼくもそこまで気に入っているわけではない」
 ほんのわずかに拗ねた様子をにじませる藤川に、種田は微笑む。
「せっかくだから、海の幸を満喫して戻ろう」
 上機嫌な言葉に、種田は頷いた。そこは自分も楽しみにしているところである。エリートなのに接待のようなものは好まないが、2人だと気さくになる。藤川もそう思っているだろうが、種田もそういう時間が気に入っている。
「はい」
 エリートとして育てられた人材と、叩き上げの自分といろいろな差はあるが、種田はこの上司を好ましく思っていた。
――ただやはりあのコーヒーのこだわりだけは理解出来ないが。
 そう考えて、種田は上司へのついでに買った自分の分のブレンドを飲みほした。
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