変わらずに、願う。
 流れていく日々に、なにもかもなかったことにすることはどうしても出来なかった。

 文化祭が終わった。
 準備なども含めた4日間、主に部活動がこの行事に盛んに取り組み、生徒会はもとより、総務委員会ももはやこの日々のために存在しているといっても過言ではない。
 総務委員会委員長として今年は関わった。もう1つ大きな役割があったけれど、それを知っているのは1人しかいない。そんなある意味多忙を極めた今年はそれなりに充実していた。
 だけど、田名辺はまだ去年の文化祭を思う。
 まだ今年の分の残務処理と、委員長の他にもう1つ担った自分の役割の口止め料の処理に追われながらも。
 去年は役割なんてほとんどなかった。事前にしか頑張ってないのだが、田名辺はあの日々を、誇らしげに思う。
 ――もしかしたら。
 あの日々がなかったら――なくても陸山はやっぱり生徒会長になっていたかもしれない――、田名辺は総務委員長にはならなかったようなそんな気がする。
 ふと手を止めて、夕暮れになりそうな空を見る。他の委員会のメンツは残り仕事を考えて、先に返した。本来なら他に任せてもいい、学校のサイトからの販売物の更新は贖罪のように自分でやっておきたかった。
「よう、まだやってんのか?」 
 声とともにがらっと無遠慮に戸が開いて、田名辺は我に返るようにそちらも見て、薄く微笑む。
「ここに来たってことはそっちはもう終わった?」
 問いには答えず、田名辺は問いで返した。
 その人物は陸山だった。総務委員会を横暴に入ってくるのは彼しかいない。彼は問いに肩を竦め、田名辺の前まで来ると、近くの机にどっかりと座って云った。
「やってらんねえ。強引に終わらせたよ。」
 その陸山を見つめて、彼が座ったと同時に視線を残り少なくなった仕事に目を戻しながら、ため息のように返した。
「――らしいね」
「とかいっても、お前も強引に終わらせた口じゃねえの? お前以外もういないし、」
 わざとらしく室内を見回して陸山が云う。ああいう入り方を、人が残っている時にはほとんどしないのに、と田名辺は心の中で笑う。
「人数が違うからなぁ。こっちのが人多いんだよ。だから結構早く終わったよ」
「それで残ってるお前はもう終わんのか?」
 何気ない問いに、田名辺の心は刹那凍りつく。
 なぜだろう、と考えて、文化祭からだと気付いた。
「今日中にケリつけておきたいからもうちょっとかかるかな」
「手伝うか?」
 その言葉に田名辺は陸山に目を向ける。手持ち無沙汰でまっすぐに田名辺を見ている陸山の瞳と合って、すべてを焼き尽くすような印象にかられて、田名辺はそらした。
 ――あんな瞳があるから、僕は違いとその度痛感して、あきらめられないんだ………。
 そして静かに首を横に振った。
「大丈夫だ」
「そうか、じゃ、オレは先に帰るかな」
 立ち上がる陸山を、田名辺は申し訳なさそうに見つめる。
「悪いな。……話は、また今度聞くよ」
 その言葉に陸山はぴたり、と全動作を止めて、田名辺を凝視するように見た。
 強い瞳が、さらに強い光を放っていて、本当に焼かれそうだ、と思いながら、陸山を落ち着かせるようにおどけた仕草で肩を竦める。
「当たってた? 本当に勘で申し訳ないけど、ムネが僕になにか話がありそうに思ったんだ」
 陸山は安堵したように息をついた。
「――話ってほどではない、が、よくわかったな」
 それに田名辺は曖昧な笑みを浮かべて答える。
 ――いつもと違うから、なんて云えるわけがない。
 しかもその話はあまり聞きたくないもののような気がしたのだ、とも云えなかった。
「じゃ、総務委員長様には別の機会に聞いてもらうとするか」
「急ぎじゃないのか?」 
 違うだろう、と思いながらも田名辺は聞く。
「急ぎだと思ってないだろう――その通りなんだが」
 鷹揚に笑って、陸山は足早に戸へ向かった。
「すまない」
 その言葉は先程の陸山に対してのものか、話を聞くことすら拒んだことのものか、わからなかった。
「いいさ、また聞いてくれ」
 背中越しに云うと、陸山は戸の向こうに消えた。
 しばらくその姿を見つめた後、田名辺は静かに大きく息を吐いた。
 ――きっとムネは何も変わっていない。
 変わったとするなら、自分だ。文化祭で懸命に手を振ったのに、陸山はそれには気付かなかった。それなのに、それだから、自分は変わってしまった。いや気付いても、変わったかもしれない――それはもうわからないけれど。
 どうしたらいいのかわからなかった。
 多分その変化を陸山も無意識に気付いていたのだろう。普段なら田名辺が委員会での仕事をしている時は独りなら、作業していても話をしていたはずだ。
 ――早く、早く気持ちに整理つけないと、ムネにバレてしまう。
 田名辺もまだきちんと自覚していないなにかが。だけどきっと流せずにいるなにかが。
 胸をぎゅっとつかんで、祈るように思う。
 その時、ふと目に入った。
『氷菓』
 折木奉太郎――彼ならこの心の謎も解いてくれるだろうか。
 そう考えて、けれど彼が解いてくれるとしても、この気持ちを誰にも告げることは出来ない、とそれだけはわかって、田名辺は小冊子を手に取った。
 ――さっさとやってしまおう。
 陸山を多少待たせるなら終わる残りの仕事に田名辺は意識をうつす。
 窓から差し込む西日がまぶしかった。
 end
 060402up