スリルには、幾分足りない。
 準備は当日ではなくて、かなり前から進めていた。実行も然り。準備してから当日まで放置される分は、もうすでに直接手を下してしまっていた。それらの戦利品は今、田名辺のバッグの中にある。どこに置いても良くない気がしてのことだが、その状況は幾分かスリリングだ。だが、と思う。
  ――7つ集めて、神龍呼び出すわけじゃないんだしな。
 苦笑してしまう。
 第一、いくつ集めるかは田名辺と、その作為の先にいる人物が知っていることだから、いくつ集めれば、というのがそもそも成り立たない。目的にすべき数は田名辺だって知らない。
 気付かれれば、すぐにでも、今の時点であまり考えたくないことだが、気付かなければ、考えたシナリオの最後まで実行しなければならない。
 だから一因を作っていても、答えを田名辺も持っていないのだ。
 学園祭の総務委員会の控える部屋で、今田名辺は独りだ。この時間にいるはずの他のメンツは皆、連れ出されてしまって、田名辺は留守番だ。それでもここを訪れる人物は後を断たない。その、人の切れ間で、田名辺は落ち着かなく何度もバッグを見た。誰も触れることはないのだが、それでも気になってしまう。
「戻りました」
 室内に響いた声は、委員のものだった。バッグに視線を向けていた田名辺は内心心臓が口から出そうになりながらも、それを抑えて、にこやかに云う。
「ご苦労様」
 ――バッグを見てたからと云って、バレるはずがない。………落ち着け。
「もう大変ですね。こっちもひっきりなしでしょう? 初日なのにこれじゃ、先が思いやられますね」
「まあでもやりがいはあるからね」
「そうですか? あ、でもそうかも。こういう忙しさ、好きです」
 会話を続けながら、鼓動が静まるまで、呪文のように何度も念じる。そうしてうわべだけ取り繕っている状態から、なんとか落ち着いてきてそれに安心して、やっと表情が気持ちに追いついた。
「意外に楽しいよな。こっちは今人が引いたところだから、ここで少しゆっくりしなね」
 心からの笑顔で云って、差し入れで預けられたお菓子を差し出す。
「ありがとうございます」
 照れたような表情で答えられた。それに多少の罪悪感を感じる。
 その時、開いたドアをわざわざノックする音が聞こえた。二人は顔を上げて、入り口を見る。委員は菓子に伸ばした手を止め、そして田名辺は目を見開いた。
「ムネ」
 扉にもたれるように立っていたのは、歴代でも最も簡潔な学園祭開催宣言を行なった生徒会長だった。総務委員会とかかわりが深いので、委員も面識がかなりあるはずなのに、彼が来た瞬間緊張した。この生徒会長はフランクだが、そういうことを自然とさせる風格がある。
 それが陸山という男だ。
 入り口に頭をもたせかけて、陸山は朗らかに笑う。
「なに、こっちはいそがしいの? あっちはヒマだから、せっかく総務委員長とお出かけしようと思ったのに」
 嘯いた口調で云うのを、田名辺は流して、委員は間に受けた。
「何人か、そろそろ戻ってくるので、大丈夫ですよ。委員長、ずっとここにいて、お祭り楽しんでないでしょう? 俺、みんな戻ってくるまでここいますから、せっかくなんで楽しんできて下さい」
 真面目な口調で陸山に向けて云い、それから途中からは田辺を見て云った。
「え………?」
 困ったのは田名辺だ。突然のことに、頭の回転が鈍くなり、状況を認識しようとしている間に、陸山がハッパをかける。
「ほら、巡回も兼ねていくぞ」
 いつになく強引で、田名辺が戸惑い困った様子で、それでも頷いた。
「あ、うん」
 立ち上がりかけた時、自分のバッグが目に入った。
 ――マズいかな。
 総務委員長として、この場に残ることになるだろうから、席を外すことはないから格好の隠し場所だと思っていた。だが、今連れ出されるとは、この時間では考えていなかったので、田名辺は慌てた。
 無意識にバッグに近づいて、考えていると「早く」と陸山から急かされる。わけもわからないままあわててバッグの中からとっさになにかをつかんで、田名辺は陸山の待つ、室外に出た。

「なに、それ?」
 並んで歩いて少しして、陸山が田名辺の身体を指差した。そこには先ほどバッグから取り出してきたものがあった。
 どうしてこんなことをしてしまったのか、田名辺はずっと考えていて、そうして少しだけ、陸山にヒントを与える意味で持ってきたのかもしれない、と結論づけることにした。決めてしまえば、持っていることを指摘された時の云い訳を考えるのも楽だ。
 なので、陸山に問われた時も田名辺は落ち着いていた。
「あー、これ? えーと………これさ、二つ並べられたら、どっち取る?」
 田名辺の手の中には二つのもの。どちらも自分のものではない。ひとつは前からくすねておいたもの、もうひとつは朝にいただいてきたものだ。
 両手にそれぞれを持って、陸山に向けてみせる。
「どっちって――――」
 突然の田名辺の言葉に、陸山もさすがに面喰らった様子で、だがすぐに答える。
「今の俺の気持ちで云うなら、こっち」
 指差したのは、青いラベルのペットボトル。
 さすがにもうひとつを選ぶことはしないと思ったが、問いながら陸山が指差したのはこちらだったので、どきりとして、背中を冷や汗が流れた。
 ――そっちはさっき、ある目的でもらってきたものだよ。
 思うが、云うことはしない。
 自分の良心の呵責が、わけのわからない行動を田名辺自身に起こさせた。とっさとか無意識とかそういう衝動的な行動とはいえ、どうしてこんなちぐはぐなものを持ってきてしまったのか、原因を考えれば、この男に他ならない。そして、その目的は、学園祭1日目で、まだ途中だ。
 田名辺はどこか自嘲的に笑って、陸山にペットボトルを差し出した。
「じゃあ、やる」
 証拠隠滅、と思いながら、無意識に彼を共犯にしたかったのかもしれない。
 ――お前のせいで、したことなんだ。
 くちびるが不意に、その言葉を紡ごうとする。それをペットボトルを開けて、口をつけた陸山が止めた。ひとくち飲んでから、なにかを思い出したように云った。
「そういやどっちを取ると、どうなんだ? ってか、その選択肢はどうなんだ」
 田名辺の手に残されたのは、鈍い銀色のお玉。どこにでもあるようなものだが、よく見ればお料理研究会のものだと気付かれる恐れがあった。
「心理テストだよ、ペットボトルを取った人は即物的、お玉を取った人は慎重なんだって」
 お玉を握りしめながら、田名辺は口からでまかせを云う。それにすっかり騙されたように、陸山は顎の下に指を当てて、少し思案してから納得したように頷いた。
「そうかあ。………うん、喉乾いてなくても、常にペットボトルを選びそうだ。すごいな」
 当たってる、とくすぐったそうに笑んで継いだ陸山の言葉に、田名辺が目を見開く。そしてすぐに、陸山から目をそらして、云い放った。
「すごくなんかない。そんな結果論はいらない」
 云ってしまってから、田名辺は適当に作った心理テストではないことを思っていた。
 このもどかしさをここで、目の前にいる人物にぶつけたかった。けれども、自分が敷いたからくりを今壊してしまうのも嫌だ。ぶつけるなら、終わる頃にしたい。堪えるように、お玉を握りしめた。
「ふうん、そっか」
 陸山は淡々と云った。人なつこい印象を与える彼がこうした会長職につけるのは、時折、ひどく冷静になれる部分があるからだ。その時折はコントロール自在で。そして今そんなふうに受け止めて、考えている。この状況を。
 ――わかってくれ。なじっても、責めてもいいから。
 そんなふうに思う。頭の奥が冷えるような感覚で、田名辺は陸山を見れないまま、彼の言葉を待った。
 だが田名辺が期待して、そして恐れる言葉はなかった、そのかわりに、田名辺の首に、陸山の腕が絡みつく。突然の感触に驚いた。距離は自然近くなる。
「じゃ、結果は今はいいから、お祭りの途中経過を楽しもう!」
 先ほどよりも近い陸山の言葉に、田名辺は面喰らう。だがそれも一瞬のことで、田名辺は仕方ない、というふうに笑った。どうせすぐに、今日は特別に使用許可されている携帯に呼び出しがかかる、その時まで。
 陸山の言葉通りにしよう。
 自分が仕掛けた罠も生徒のまだほとんどが気付いていないだろう。なにせまだ祭りは始まったばかりだ。
 end
 080419up